説「廃人」が載っているのを見た時、俺はあっと驚いたまま、しばらくは茫然とした。俺は鉄槌で殴られたような打撃を感じながら、まだ自分の視覚を疑った。どんなに評判がよくても、文壇の中央へ乗り出すのには間があるだろうと高を括っていたのは、俺の誤りだった。あいつは、俺のそうした予想を見事に裏切ってしまった。もう、あいつが流行作家で、俺が無名作家であることは、厳として動かすべからざる事実だ。俺は眩《まぶ》しいものを見るように、あの広告を見た。山野敏夫――という三号の活字が、さながら俺を嘲笑しているように感じた。題名の「廃人」は、作家としては「廃人」に近い俺を、モデルにしたのではないかとさえ思った。が、俺はこれほど反感を持っているあいつの作品が、一刻も早く読みたくなるから不思議だった。山野の作品を読むために「△△△△」を買うこと、換言すればあいつの作品のために「△△△△」が一部でも多く売れることは、考えてみれば少し不快だったが、それでも俺はあいつの作品が、読みたくて堪らなかった。
 俺は見たくもないものをおずおずと見るような心持で、あいつの作品を読んだ。読んでみると、あいつの作品は、俺の嫉妬や競争心を押し退けておいて、俺にぐいぐいと迫ってきやがる。俺は、残念で堪らない、あいつに対する反感が、あいつの作品の力に押し退けられて、わけもなく感心してしまうのだ。あいつに反感を持たない一般の批評家が、感心するのももっともな話だ。それを思うと、俺は情なくなる。俺は「△△△△」を手にしながら、あいつに絶対的に打ち負かされたことを明らかに感得した。
 俺は「△△△△」と共に、自分が寄稿した「群衆」を買ってきた。俺の小品も編集者の好意で、二段組ではあったが掲載されていた。が、「△△△△」と「群衆」! それは雑誌としての勢力において、無限大の隔たりがあった。俺は山野が偶然、「群衆」を手に取って、俺の作品に気がついた時、「ふふん」と嘲弄の微笑をもらす、その顔付までが歴然と感ぜられた。
 もう「勝負はあった」という気がする。俺の負けは俺自身にさえ明らかだ。なあに! 初めから勝負になっていなかったのだ。「△△△△」のあいつの小説の第一ページをじっと見つめていると、無念と絶望の涙が頬を伝って流れた。俺が、「△△△△」を見ていると、偶然佐竹君がやって来た。そしてまたいつものように創作の話を始めた。
「六百枚の方は、一昨日とうとう書き上げてしまった。僕はこの二、三日そのために愉快で堪らないのだ。少し静養したら、いよいよ千五百枚のものにかかるんだ。こっちが完成したらもうしめたものさ」と相変らず元気なことをいっていたが、ふと「△△△△」が佐竹君の目に入ると、
「山野君の『廃人』が載っていたね。ありゃそう恐るるに足るものじゃないね。ただ思いつきばかりのものだ。芸術としてはむしろ邪道だね」と、いった。が、俺はもうこの男の罵倒から、なんらの慰安をも感じなかった。思いつきばかりでもいい、芸術の邪道でもいい、文壇に認められる方が、どれほどいいことかわからなかった。六百枚の長篇を終って、千五百枚の大作にかかっている佐竹君よりも、三十枚ばかりの器用な短篇を書いて、一躍して認められた山野の方が、俺にはどれほど羨《うらやま》しいかわからなかった。
 俺は、それから意外なことに気がついた。俺は何気なく佐竹君に「群衆」を見せて、俺のわずか七枚の小品を指し示すと、それを見た佐竹君の瞳は、異様な輝きを帯びた。
「なんだ! こんな短篇か!」と、彼は吐き出すようにいった。
「この雑誌は一体、誰が経営しているのだ! 一人としてろくなやつが書いていないじゃないか! 草田花子! あ! こいつか! こりゃ君! この間、山本という男と、作品の褒め合いをしたかと思うと、獣《けだもの》のようにすぐくっつき合った女じゃないか。こんな女が小説を書いているんだね」と、佐竹君は「群衆」の寄稿者をことごとく罵倒した。そして「群衆」という雑誌が低級な雑誌でそれに書いている者が、ことごとくろくでもない奴らであると結論した。
 俺は、俺のわずか七枚の小品が、これほど佐竹君を激昂させたことに驚いた。この男は雑誌「群衆」をけなすことによって、俺の作品を無視しようとかかったのだ。が、それはまったく反対の事実を語っている。俺の小品が七枚でも活字になったことは、佐竹君にとって決して愉快なことではなかったのだ。俺が山野の作品によって感じているような反感と焦躁とを、佐竹君もやっぱり感じているのだ。六百枚の長篇を書き上げて、堂々と小説の大道を歩んでいるはずの佐竹君が、活字になった俺のわずか七枚の作品から圧迫を受けるとは、考えてみれば不思議なことだった。
 が、俺は俺の小品を無視しようとした佐竹君を、決して憎めなかった。俺は山野より天分が劣っていること
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