まうまと「夜の脅威」を、得意になって差し出した俺の弱さ加減を考えると、俺は自分の身をいとおしむ涙が双頬を湿《うる》おすのを感じた。
×月×日
もう「×××」がでてから、二カ年半になる。「×××」はもうとっくに廃刊してしまった。が、山野や桑田や岡本や杉野は作家として立派に登録を済まして「×××」同人として文壇を闊歩している。ことに、山野は一作ごとに文壇を騒がして、今では押しも押されぬ位置を占めてしまった。
俺と彼らとの距離は、もう絶対的に広がってしまった。かえって、こうなると、もう競争心も、嫉妬も起らない。俺は彼らが流行作家として、持てはやされる事実を、平静に眺めていることができる。一人の天才が生れるために、百の凡才が苦しむことが必要だ。山野や桑田などが、持てはやされる陰には、俺一人ぐらいの犠牲はむしろ当然かも知れない。が、永久に無名作家として終る者は、俺一人ではあるまい。千五百枚の長篇が完成したかどうかは、きいてみないからわからないが、佐竹君は相変らず暗い顔をしている。そうして、文壇に新進作家が出るごとに、猛烈にけなしつけている。同人雑誌をけなしつけた吉野君も、相変らず健在である。が、あの人の創作が、相当な文芸雑誌に載ったことはまだ一度もない。
文壇においても、運がある点まで、重要な働きをしているのだ。そうでも思って、俺は諦めているのだ。が、俺はもう文壇について、考えることはよそう。作家としての生活以外に意義のある生活がないように思っていたのは、俺の迷妄だ。
俺はこの間、ヴェルレーヌの伝記を読んでいると、あのデカダンの詩人が晩年に「平凡人としての平和な生活」を痛切に望んだという事実を知って、俺はかなり心を打たれた。俺のように天分の薄いものは「平凡人としての平和な生活」が、格好の安住地だ。学校を出れば、田舎の教師でもして、平和な生活に入るのだ。
流行作家! 新進作家! 俺は、そんな空虚の名称に憧れていたのが、この頃では、少し恥かしい。明治、大正の文壇で名作《クラシックス》として残るものが、一体いくらあると思うのだ。俺は、いつかアナトール・フランスの作品を読んでいると、こんなことを書いてあるのを見出した。
(太陽の熱がだんだん冷却すると、地球も従って冷却し、ついには人間が死に絶えてしまう。が、地中に住んでいる蚯蚓《みみず》は、案外生き延びるかも知れない。そ
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