る。
幕が開くと、若衆形の美少年が鼓を打ちながら、五人声を揃えて、左の小唄を隆達節で歌う。

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唄「人と契るなら、薄く契りて末遂げよ。もみじ葉を見よ。薄きが散るか、濃きが散るか、濃きが先ず散るものでそろ」
(歌い終ると、役者たち拍手をして慰《ねぎら》う。下手の障子をあけ、宗清の女中赤紙の付いた文箱を持って出る)
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女中 藤十郎様にお文がまいりました。
若太夫 (中途で受取りながら)火急の用と見える。(藤十郎に渡す)
藤十郎 (受取りて)おおいかにも、火急の用事と見えまする。ちょっと披見いたしまする。皆の衆御免なされませ。なになに漣子《れんし》どの、巣林《そうりん》より、さて近松様からの書状じゃ。(口の中に黙読する、最後に至りて声を上げる)こんどの狂言われも心に懸り候ままかくは急飛脚をもって一筆呈上仕り候。少長どのに仕負けられては、独り御身様の不覚のみにてはこれなく、歌舞伎の濫觴《らんしょう》たる京歌舞伎の名折れにもなること、ゆめゆめご油断なきよう御工夫専一に願い上げ候。(しばらく考えてまた読み返す)京歌舞伎の名折れにもなること、うむ! なんの仕負けてよいものか。ははは……が、近松様も、この藤十郎を思わるればこそ、いかい御心労じゃ。
千寿 (言葉も女の如く)さようでござりますとも、こんどの狂言には、さすがの近松様も、三日三晩、肝胆を砕かれたとのことじゃ。ほんに、仇やおろそかには思われぬわいのう。
弥五七 (道化方らしく誇張した身振りで)さればこそ前代未聞の密夫《みそかお》の狂言じゃ。傾城買《けいせいかい》にかけては日本無類の藤十郎様を、今度はかっきりと気を更えて、密夫にしようとする工夫じゃ。傾城買の恋が春の夜の恋なら、これはきつい暑さの真夏の恋じゃ。身を焦がすほど激しい恋じゃ。
四郎五郎 夏の日の恋というよりも、恐ろしい冬の恋じゃ。命をなげての恋じゃ。
三十郎 命がけの恋じゃとも。まかり違えば、粟田口で磔《はりつけ》にかからねばならぬ恐ろしい命がけの恋じゃ。
源次 昨日も宮川町を通っていると、われらの前を、香具売《こうぐうり》らしい商人が二人、声高に話して行く。傾城買の四十八手は、何一つ心得ぬことのない藤十郎様が、密夫の所作を、どなに仕活《しいか》すか、さぞ見物衆をあっといわせ
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