りがたしと見て、必死だった。
新子は、もうどうにも出来ない羽目に、追い込まれたので、身を棄てて、夫人の罵倒《ばとう》に甘んじようとした矢先、思いがけない美和子の颯爽《さっそう》たる助太刀を、頼もしくは思いながら、これ以上事を荒立てると、どんなことになるかもしれないので、
「美和ちゃん!」と、低くたしなめた。すると、美和子は、紅潮した頬を向け、
「お姉さんが、煮え切らないからいけないのよ。だから、愚図愚図いわれるのよ。」と、姉触るれば姉を斬る勢い。
六
(愚図愚図いわれるのよ)という美和子の言葉に、夫人はギョッとして、
「愚図愚図いうとは何ですか。生意気だわ貴女は。何だって、私をそんなに侮辱するのですか。」と、今度は自分の方が、被害者でもあるかのような夫人の口調である。
美和子は、相変らず、物に動じない円《つぶら》な瞳をジッと、見はって、
「だって、そうなんですもの。前川さんは、穏便主義でお姉さんは、志操堅固なんですもの。愚図愚図いわれることなんかちっともないわ。お姉さんは、処女ですわ。わたし、処女であることを信じているわ。奥さんに、苛められることなんかちっともないと思うわ。」姉に対する美和子の信念は、熱を持っていて、さすがに有力な反撃であった。だが、夫人も負けてはいず、
「へえ――。不思議なことを聞くものね。それなら、なおのこと、こんなベッドのある部屋で、前川と会うことなんか、慎むべきですわ。」
「そんなことは、お姉さんに、おっしゃる前に、前川さんに、おっしゃるべきだわ。」
「貴女の指図は受けなくっても、むろん前川を責めますよ。しかしそうするためにも、このいかがわしい場所を、確かめておく必要があるじゃありませんか。」
さすがの夫人も、才気|煥発《かんぱつ》、恐ろしい者知らずの美和子には、ややてこずっている気味である。
「だって、確かめようがありますわ。処女であるお姉様に対して、誰と怪しいとか怪しくないとかそんな確かめようなんて、ないと思うわ。そんなことを、おっしゃるのは、かえって貴方《あなた》の人格を傷つけることになるんだわ。」
と美和子は、もう姉のために弁ずるよりも、いかにもけんだか[#「けんだか」に傍点]な増上慢を、歴々《ありあり》と顔に出している夫人に、突っかかって行く興奮に自ら酔うているように、止めどもなく、喰ってかかって行く。
子供らしい彼女の受口の舌の中には、少しは的はずれでも、とにかく相手のどこかを突き刺す毒の針が、無数に含まれている。
新子は、眼を伏せたっきり、問答は全く、夫人と美和子に移って、彼女は圏外に出された形である。
夫人は、今まで、わがまま一杯に育ち、人を権柄ずくにやっつけることには、巧みでも、一度相手から逆撃されてみるとたちまち勝手が違い、カッとのぼせ上って来、気の遠くなるほど、美和子が憎らしくなりながら、口の方はかえって辛辣さを無くしていた。
「私は、別に埃のないところを叩いてやしません。それが証拠に、新子さんは恐れ入ってるじゃありませんか。」
美和子を避けて、弱い姉を衝こうとした。
七
美和子は、また奮然として、
「お姉さんだって恐れ入っているもんですか。お姉さんは、あんまり良心がありすぎるから、たった一月お世話になったことを考えて、遠慮しているだけよ。こんなに慎みぶかいお姉さまを危険視するなんて、大間違いだわ。お姉さんを、警戒する前に、奥さまは、手近な前川さんの心臓を、しっかりお握りになっているといいんだわ。」
これは、美和子の揮《ふる》う論理の中でも、相当夫人にとっては、痛いものであるだけに、夫人はますます苛々《いらいら》して、表情らしい表情を無くして了《しま》い、
「下らない理窟なんか聞きたくないわ。ともかく今夜かぎり、貴女方姉妹は、この店に出入を止して頂きたいわ。ねえ、新子さん、それに異議はないでしょう、貴女は先刻承諾したはずですもの。」と、敢然として高圧的な態度に出た。
「どんな理由で、止さなければならないんですか。」と、美和子は落着き払って訊いた。
「どんな理由? 私が厭なんです。前川がこんな酒場なぞを出すことに、反対するのです。この店が無くなる以上、貴女がここに止《とど》まるわけはないじゃありませんか。」夫人は、ようよう冷然たる態度を取り戻して来た。
「あら、奥さまは、そんな権利をお持ちにならないはずだわ。」
「おや、どうして……良人のものは、私のものですわ。」
「だって、このお店、前川さんのものじゃないわ。」
「じゃ誰のものです。」夫人は嘲りながら云った。
「みんな新子姉さんのものよ。」
「美和チャン!」新子は、思わず美和子を押えようとした。
「お姉さんなぞ、だまっていらっしゃい!」と、云ってまた夫人に向い、「ここのもの
前へ
次へ
全108ページ中103ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング