替に、氷嚢をとり換えに行った。
何時間経っただろう。女中は、台所の方へ行ったまま帰って来なかった。新子も、椅子の背にもたれて、わずかにまどろんだとき、部屋にはいった人の気勢《けはい》がしたので、ハッと眼を開けるとそれはパジャマを着た準之助氏であった。
明け方近い病室に、なお止まっている新子を発見して、驚いて見つめている準之助氏の眼にいい知れぬ優しさが、漲《みなぎ》っているのを見ると、新子は名状しがたい恥かしさに、一時に頬をそめてしまった。
四
優しい準之助氏の眼は、たちまち親しく怒りつけるような眼つきに変って、新子を見ながら、抜足して病床に近づいて来て、
「あれから、ずーっとここにいらしったんですか。そんなことをしては駄目ですよ。それじゃ、貴女の身体がたまらない。第一、貴女の仕事でもないじゃありませんか。」と、好意に充ちた小言《こごと》だった。
白々と明るくなった静かな空気の中に、スヤスヤと祥子の寝息が通っていた。
「大丈夫……」何か云いつづけようとしたけれど、声がかすれているので、新子は微笑で、まぎらしてしまった。
「大丈夫なものですか。もう五時過ぎていますよ。早く行ってお休みなさい。」
「今から、眠るということも出来ませんし、小太郎さんの勉強がすんでから、ゆっくり休ませて頂きます。」と、新子は小声でいった。
準之助氏はじっと新子の顔を見つめていたが、
「貴女の顔も、なんだか赤いようですよ。熱があるんじゃありませんか……」さっき赤くなった頬が、まだあせないでいたのである。
「熱なんか……」と、いいながら、新子はつい自分の額に手をあてると、
「どれ!」と、準之助氏は、無遠慮に新子の手首を取り上げて、脈拍《みゃく》を探った。
新子は、間がわるく、あわてて手を引っ込めようとしたが、そんなことをしては、なおこの場が色っぽくなるような気がして、静かに相手のなすままに委せていた。
「少し早いじゃありませんか。ムリをしちゃいけませんな。女中を呼びますから、お引き取りになって下さい。」
新子は、すっかり睡気がなくなってしまっていたが、こうやって準之助氏と向い合っていることがきまりがわるくなったので、
「それでは、失礼します。」というと、部屋を出て行った。
新子の屋根裏に近い部屋は、電燈の灯ったままで、ひんやりと、明方の空気が肌寒かった。
新子
前へ
次へ
全215ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング