「え!」新子には、何と云ったのか、ちょっと分らなかった。
「いや、あの前川夫人ですよ。あの人は、貴女も知っているとおり、嫉妬という点になると、まるで猟犬か何かのように敏感ですからね。怪しいと見ると、どんな手段でも取りますよ。あの人は、僕なんかも、貴女に対するスパイとして、利用しようとしているんですからな。ところが、僕はスパイを勤めるような顔をして、久しぶりに貴女に会いに来たんですよ。」
「じゃ奥さんは、私がここにいることご存じなんですか。」新子は蒼くなっていた。
「いや、ハッキリは知らないんです。しかし、貴女が銀座のある酒場《バー》にいることは知っていますよ。」新子は、それを聞くと、自分のやや安定していた生活が、グラつき揺がされたような気がした。
「誰が、そんなこと話したんでしょう。」新子は、何となく恨めしそうだった。
「誰ですかな。しかし、僕が来たことは安心して下さい。僕は、夫人のスパイを勤めるよりも、必要によっては、貴女のために、策動しますよ。」
「………」
新子は、木賀の相変らずの朗かな調子に、随《つ》いて行くことが出来なかった。木賀も、やや、真面目になって、
「貴女のために、計るとすれば、前川さんと全然ご関係がないとすれば別ですが、もしどんな意味でも、ご関係があるとすれば、前川さんは、当分ここへいらっしゃらない方がよくありませんか。でないと、あの夫人は、あれでウルサイですからな。いざとなると恐いですよ。どんなことでもやりかねないんですから。」
それは、木賀の云うとおりであった。このわずか一月ばかりの幸福な生活の地平線に、たちまち黒い密雲の立ち掩《おお》うて来るのを感じた。新子は、さしうつむいたままだまっていた。
「僕は、貴女のために、奥さんの動静を探ってあげますよ。必要があれば、時々ご報告します。このマッチに、電話番号が、ついていますね。」と、バー・スワンと銘のはいったマッチを、一箱ポケットの中に入れた。
今更、木賀に対して、前川と何の関係もないと、抗弁するのも愚かしいことであったし、と云って木賀に、どうかよろしくと、依頼する気にもなれなかった。木賀は、新子の気持を充分察しているように、
「あまり、クヨクヨご心配にならなくってもいいじゃありませんか。少し注意をすれば、貴女がこの店にいることだって、容易に分りゃしないですよ。」と、木賀は、サラサラ云ってく
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