。
「先生だって、面白いのよ。ねえ、先生!」
「ええ。とても。」と、新子も真面目に肯いて読みつづけた。
準之助氏は、本を読んでいる新子と、仰のけに寝ながら、新子の読む声に聞き惚れて、美しい黒目を一章一章に、うごかしている祥子とを、何か楽しい観物《みもの》のようにしばらく眺めていた。
そのとき、あわただしい足音がして、扉《ドア》がノックされて、
「どうぞ!」と、新子が答えるのも待たず、女中がはいって来て、新子に電報を手渡した。
(今頃、何の電報!)と、思う胸騒ぎを、じっと抑えて、読み下すと、
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アスマデニ三〇〇エンツゴウシテクレ、イノチガケニテタノム、アネ
[#ここで字下げ終わり]
と、いう電文だった。
姉の唐突な無法な依頼に、呆れて新子の顔は、サッと蒼ざめた。
一昨日の金は、着いたのだろうか。着いたとしたならば、その上に何の急用あっての金だろうか。恐らく母が入用《いりよう》の金ではあるまい。姉一人でいる金としたならば、一体何の金だろう。昨年あたり新聞でよく見た、左傾した女の人達が無理算段の金を作るように、まさかあの姉が急に左傾して、党へ出すとかいう金をでも作るわけでもあるまいに……。
「どうなすったんです。南條さん!」準之助氏に、声をかけられて、新子はハッと狼狽した。
「いいえ、つまんない用事なんですの。電報なんか打たなくっていいことなのですの、……ご免なさい祥子さん。先を読みましょうね。」
ずいぶんながくかんがえてたのね。だから、カンガエールカンガエールカンガールて、だれいうとなしにそういってしまったのさ……
だが、もう新子の声は、かすかにふるえて漫画の説明を読むには、一番不適当な声になっていた。
二
祥子も、新子の声のふるえに気がついたと見え、もう漫画からは眼を離して子供らしく気づかわしげな眼を、新子の顔に向けていた。
新子は、それでも祥子の注意を絵本に向けようとあせって、また一ページばかりも、読みつづけた。
「南條さん。本は、それくらいにしてどうですか。ねえ、祥子もういいだろう。」と準之助氏が口を出した。
「ええ。」と、祥子も父の意を汲んで素直に、うなずいた。新子は泣きたいような気持で、本を下に置いた。
「南條さん、不意の電報なんて、よくないことに定《きま》っているものですが、一体どういう報せなん
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