ぬ電報の文句を!)と、圭子は考え出した。
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愛人無為
一
樹の根に、踝《くるぶし》を打ちつけて、青いあざを残したけれど、痛みはその時だけで、手の甲の傷も、ほんのかすり傷だった。
それなのに木賀子爵をはじめ、夫人をのぞく人達は、新子の傷を心配してくれた。熱が下ったばかりで、起きられない祥子《さちこ》は、新子の足に、繃帯《ほうたい》を巻きたがった。
翌日は、もうさわってみると、ほのかに痛みを感ずるというくらいだった。
夫人も、少しテレていると見え、あれから新子に顔を合わせることを避けていた。
小太郎はその日夏休みの復習帳に、晴というのを時と書き、曇という字を雲で間に合わせているのを、新子に指摘されて、午前中廊下をかけ廻りながら、
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晴を時と間違えた
曇を雲と間違えた
テリヤを輝や(女中の名)とまちがえた
[#ここで字下げ終わり]
という自作の即興詩を、奇妙な節をつけて、歌って歩いて、夫人から叱られて、一時からの復習の時は、殊のほか神妙であった。
新子は、二時から祥子の部屋にいたが、母夫人の入って来る気配がしたので、そこはかと、部屋を出たが、歩いてみたくなったので、大好きな別荘前の諏訪の森へ、遊びに行った。
地面が絶えずジメジメして、しだ[#「しだ」に傍点]が生えており、空気がひんやりしていた。
横手の外人別荘から、小さい金髪の男の子が、ワイヤー・ヘヤードを連れて、どこどこまでもかけて行った。
後は全く静かであった。
新子は、美沢が(墓地の静けさ)が好きなので、よく二人で弥生町の家から、谷中の天王寺に出かけたり、省線で横浜へ行き外人墓地を高見から、眺めたりしたことを思い出した。
この森を、美沢と一緒に歩きたいような希望が、頭の中に湧いた。
家の前途を、一人で背負って悩んでいる新子は、時には誰かに慰め労《いたわ》られたいような気持がした。そんな気持で、美沢に会うのであったけれども、美沢がまた、どちらかといえば、新子に慰められる側の性格で、いわば新子は、美沢にとって姉的愛人だった。
だから、新子は今まで何人《なんぴと》にも労られたことがない。
準之助氏から、労られたのが初めてである。
昨日《きのう》は、不当な大金を、お菓子をもらう子供のように、易々《やすやす》ともらってしま
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