《りょうかい》さえ得れば、それでいいんだわ)大それたという気がないでもないのを、圭子は強いてまぎらして、新子の便箋は、チギレチギレに裂いて、為替だけをハンドバッグに入れた。
その時、階下《した》から妹の声がして、
「お姉さまア。」と呼ばれたので、ハッとして、
「何?」と、訊き返すと、
「あのね。いま、誰が来ましたかって、お母さまが訊いていらっしゃるのよ。」と、美和子の声が、飛び上って来た。
さすが、ドキッとする胸を押えて、
「いいえ。誰も……」
「でも、玄関が開きやしなかったかって?」
「ええ、押し売か何かよ、断ったのよ。」切羽つまったウソをいった。
下からは、それぎり何の応《こた》えもなくなったので、圭子はホッと、安堵の思いをした。
さっき、書留を見た刹那《せつな》、為替証書を見た刹那、精《くわ》しくいえば、無意識に懐《ふところ》へしまったまでに、わずか二、三分たらずの間に、圭子の心は、決していたのである。
このお金が、どんなお金であろうとも、自分のしていることが、どんなに無法であろうとも、ともかくもこのお金は、小屋代に――と思ったのである。しかも、母も美和子も、書留の来たことさえ、気がつかなかったのは、まことに幸運だったと、圭子の心は快哉《かいさい》を叫んだのである。
圭子は、にわかに元気づき、椅子の背に昨夜《ゆうべ》のままかかっているドレスを取って、手早く支度をしてしまった。
母とも妹とも、口をきかず、怒っているような姿勢を取って家を出ると、途中日比谷で下りて、そこの郵便局で現金に換え、三時少し前に劇場へ着いた。
小池は、一時間も前から来ていたらしい。圭子の顔を見ると、
「どうです、首尾は?」と、さすがに、不安そうにオズオズ訊くのを、圭子は快活な笑顔で受けて、
「上首尾よ! でも、随分おかしい半端よ。百四十円、百五十円に十円足りないのよ。」
「けっこうですとも。けっこうですとも、それだけあれば、御の字ですよ。」と、こんな人が、こんなにと思われるほど小池は相好《そうごう》を崩していた。
七
親姉妹《おやきょうだい》に対する内面《うちづら》は悪いくせに、他人にはひどく当りがよく、他人から頼まれると、いやとはいえないような圭子だった。
「それで今日と明日とは、どうにかなります。だが、問題は明後日ですな。」という小池に、
「明後日
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