直卿は苦笑した。
「それでこそ、忠直の家臣じゃ。主と思うな。隙があれば、遠慮いたさず突け!」
 こういいながら、忠直卿は槍を扱《しご》いて二、三間後へ退りながら、位を取られた。
 左太夫も、真槍の鞘を払い、
「御免!」と叫びながら主君に立ち向った。
 一座の者は、凄まじい殺気に閉じられて、身の毛もよだち、息を詰めて、ただ茫然と主従の決闘を見守るばかりであった。
 忠直卿は、自分の本当の力量を如実にさえ知ることができれば、思い残すことはないとさえ、思い込んでいた。従って国主という自覚もなく、相手が臣下であるという考えもなく、ただ勇気凜然として立ち向われた。
 が、左太夫は、最初から覚悟をきめていた。三合ばかり槍を合すと、彼は忠直卿の槍を左の高股に受けて、どうと地響き打たせて、のけ様に倒れた。
 見物席の人々は一斉に深い溜息を洩した。左太夫の傷ついた身体は、同僚の誰彼によってたちまち運び去られた。
 が、忠直卿の心には、勝利の快感は少しもなかった。左太夫の負けが、昨日と同じく意識しての負けであることが、まざまざと分かったので、忠直卿の心は昨夜にもまして淋しかった。左太夫めは、命を賭してまで、偽りの勝利を主君にくらわせているのだと思うと、忠直卿の心の焦躁と淋しさと頼りなさは、さらに底深く植えつけられた。忠直卿は、自分の身を危険に置いても、臣下の身体を犠牲にしても、なお本当のことが知りがたい自分の身を恨んだ。
 左太夫が倒れると、右近は少しも悪怯《わるび》れた様子もなく、蒼白な顔に覚悟の瞳を輝かしながら、左太夫の取り落した槍を携《ひっさ》げてそこに立った。
 忠直卿は、右近め、昨夜あのように、思いきった言葉を吐いた男であるから、必死の手向いをするに相違ないと、消えかかろうとする勇気を鼓《こ》して立ち向かった。
 が、この男も左太夫と同じく、自分の罪を深く心のうちに感じていた。そして、潔く主君の長槍に貫かれて、自分の罪を謝そうとしていた。
 忠直卿は、五、六合立ち合っているうちに、相手の右近が、急所というべき胸の辺へ、幾度も隙を作るのを見た。この男も、自分の命を捨ててまで主君を欺《あざむ》き終ろうとしているのだと思うと、忠直卿は不快な淋しさに襲われて来た。そして、相手にうまうまと乗せられて勝利を得るのが、ばかばかしくなって来た。
 が、右近は一刻も早く主君の槍先に貫かれたいと
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