て、紅白の幔幕《まんまく》が張り渡され、上座には忠直卿が昨日と同様に座を占めたが、始終下唇を噛むばかりでなく、瞳が爛々として燃えていた。
勝負は、昨日とほとんど同様な情勢で進展した。が、昨日の勝敗が皆の心にまざまざと残っているので、組合せの多くは一方にとっては雪辱戦であったから、掛け声は昨日にもまして激しかった。
紅軍は、昨日よりもさらに旗色が悪かった。大将の忠直卿が出られた時には、白軍には大将、副将をはじめ、六人の不戦者があった。
見物の家中の者どもが不思議に思うほど、忠直卿は興奮していた。タンポの付いた大身の槍を、熱に浮された男のようにみだりに打ち振った。最初の二人は腫れ物にでも触るように、恟々《きょうきょう》として立ち向った。が、主君の激しい槍先にたちまちに突き竦《すく》められて平伏してしまう。次の二人も、主君の凄まじい気配に怖じ恐れて、ただ型ばかりに槍を振っただけであった。
五人目に現れたのは、大島左太夫であった。彼は今日の忠直卿の常軌を逸したとも思われる振舞いについて、微かながら杞憂《きゆう》を懐く一人であった。無論、彼は自分の主君が、自分たちの昨夜の立話を立聞きした当の本人であろうとは、夢にも思っていなかった。が、昨夜、夜更けの庭に耳にした咳払の主が、主君に自分たちを讒《ざん》したのではあるまいかという微かな懸念は持っていた。彼は常よりも更に粛然として、主君の前に頭を下げた。
「左太夫か!」と、忠直卿はある落ち着きを、示そうと努めたらしいが、その声は妙に上ずっていた。
「左太夫! 槍といい剣といい、正真の腕前は真槍真剣でなければ分からない! タンポの付いた稽古槍の仕合は、所詮は偽りの仕合じゃ。負けても傷が付かぬとなれば、仕儀によっては、負けても差支えがないわけとなる! 忠直は偽りの仕合にはもう飽いている。大坂表において手馴れた真槍をもって立ち向うほどに、そちも真槍をもって来い! 主と思うに及ばぬ。隙があらば遠慮いたさずに突け!」
忠直卿は上ずって、言葉の末が震えた。左太夫は色を変えた。左太夫の後に控えている小野田右近も、左太夫と同じく色を変えた。
が、見物席にいる家中の者は、忠直卿の心のうちを解するに苦しんだ。殿御狂気と怖気《おじけ》をふるうものが多かった。忠直卿は、これまでは癇癖こそあったが、平常、至極闊達であり、やや粗暴のきらいこそあった
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