土台の上に立っていたことに気がついたような淋しさに、ひしひしと襲われていた。
 彼は小姓の持っている佩刀《はいとう》を取って、即座に両人を切って捨てようかと意気込んだが、そうした激しい意志を遂げる強い力は、この時の彼の心のうちには少しも残ってはいなかった。
 その上、主君として臣下から偽りの勝利を媚びられて得意になっていた自分が浅ましいと同時に、今両人を手刃《しゅじん》して、その浅ましい事実を自分が知っているということを家中の者に知らせるのも、彼にとってはかなりの苦痛であった。忠直卿は、胸の内に湧き返る感情をじっと抑えて、いかなる行動に出ずるのが、いちばん適当であるかを考えた。余りに不用意にこうした経験に出合したため、たださえ興奮しやすい忠直卿の感情は、収拾のつかぬほど混乱した。
 忠直卿のそばに、さっきから置物のようにじっとして蹲《うずくま》っていた聰明な小姓は、さすがにこの危機を十分に知っていた。二人の男に、ここに彼らの主君がいることを教えねば、どんな大事が起るかも知れぬと思った。彼は、主君の凄まじい顔色を窺いながら、二、三度小さい咳をした。
 小姓の小さい咳は、この場合はなはだ有効であった。右近と左太夫とは、付近に人がいるのを知ると、はっとしてその冒涜《ぼうとく》な口をつぐんだ。
 二人はいい合わしたように、足早く大広間の方へと去ってしまった。
 忠直卿の瞳は、怒りに燃えていた。が、その頬は凄まじいまでに蒼ざめている。
 彼の少年時代からの感情生活は、右近の一言によって、物の見事に破産してしまっていた。彼が幼にして、遊戯をすれば近習の誰よりも巧みであったことや、破魔弓《はまゆみ》の的を競えば近習の何人《なんびと》よりも命中矢《あたりや》を出したことや、習字の稽古の筆を取れば、祐筆の老人が膝頭を叩いて彼の手跡を賞賛したことなどが、皆不快な記憶として彼の頭に一時に蘇《よみが》って来た。
 武術の方面においても、そうであった。剣を取っても、槍を取っても、たちまち相手をする若武士に打ち勝つほどの腕に瞬く間に上達した。彼は今まで自分を信じて来た。自分の実力を飽くまで信じて来た。今右近らの冒涜な陰口を耳にしても、それが彼らの負け惜しみであるとさえ、ともすれば思うほどである。
 しかし、今日の右近の言葉は、その言葉が発せられた時と場合とを考えれば、決して冗談でもなければ嘘で
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