三四十円も出す力は持って居なかった。従って一疋六十円以上もする大島は、当然譲吉夫婦の購買力の上に在《あ》った。
「大島を買う金なんかあるもんか。」と、譲吉が妻のしつこい提議に対して、吐出すように云うと、「だから貯金をなさいよ。貴方は喰道楽だから、お金が蓄《たま》らないのよ。毎月五円宛貯金をなさいよ。そしたら、今年の秋迄には、大島が出来るわ。」と彼の妻は、よくこんな事を云って居た。譲吉も冗談に、
「じゃ、その『大島貯金』をでもするかな。」と応じた。が一種の享楽者《エピキュリアン》である彼は、着物を購《あがな》う為に、貯金迄する気は、何うしても起らなかった。が、彼は妻に依って、大島の美点と長所とを詳細に説かれてからは、段々大島に対する執着を覚えて来た。銀座通を歩いて居る時など、よく呉服屋の見本棚の前に足を止めて、其処《そこ》に飾られてある、縞柄《しまがら》のよい大島絣を、熟視して居る自分の姿に気が附いて、思わず苦笑する事も屡々《しばしば》あった。
 その裡に秋が来て、冬物を着るシーズンとなっても、大島の揃は、中々出来る様子は見えなかった。妻はよく譲吉に、
「貴方のように、ケチケチして居ては、何時《いつ》が来たって買えやしないわ。少し無理をしてでも、思切って買うといいんだわ。買った後で余儀なく倹約して埋合せを附ければいいんだわ。」と、云った。金遣いにかけては、貧家に育った譲吉は、可なり小心であった。とても疾病《しっぺい》などの準備として預けてある貯金を、引き出して迄、大島を買う気にはなれなかった。また彼の妻程大島に対して強い執着を、持っても居なかった。
 譲吉に取って、大島の揃は出来ずに、年が暮れた。すると、新年になって、年始|旁々《かたがた》譲吉の家を訪《たず》ねた友人の杉野は、仕立下ろしと見える新しい大島の揃を着て居た。杉野と、もう一人の友人の荒井と、譲吉とは、高商の同窓で社会に出てからも、同じ位の位置に就いて居た。そしてお互の間に、意識はしなかったが、色々な点に於て競争の感情が動いて居ないでもなかった。三人の中で、一番早く眼鏡《めがね》を金縁にしたのは、譲吉であった。すると、一月ばかりして荒井が今迄の鉄縁を金に替えて居た。杉野も亦《また》何時の間にか、金の縁無しを掛けて居た。が、大島を一番早く着たのは、確に杉野に相違なかった。
「何だ! 大島を着て居るじゃないか。」
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