めったに来る人がなかった。運よく人の来る時には、投身者は疏水のかなり激しい水に巻き込まれて、行方不明になっていた。こんな場合には、老婆は暗い水面を見つめながら、微かに念仏を唱えた。しかし、こうして老婆の見聞きする自殺者は、一人や二人ではなかった。二月に一度、多い時には一月に二度も老婆は自殺者の悲鳴をきいた。それが地獄にいる亡者のうめき[#「うめき」に傍点]のようで、気の弱い老婆にはどうしても堪えられなかった。とうとう老婆は、自分で助けてみる気になった。よほどの勇気と工夫とで、老婆が物干の竿を使って助けたのは、二十三になる男であった。主家の金を五十円ばかり使い込んだ申し訳なさに死のうとした、小心者であった。巡査に不心得を諭されると、この男は改心をして働くといった。それから一月ばかり経って、彼女は府庁から呼び出されて、褒美の金を貰ったのである。その時の一円五十銭は老婆には大金であった。彼女はよくよく考えた末、その頃やや盛んになりかけた郵便貯金に預け入れた。
それから後というものは、老婆は懸命に人を救った。そして救い方がだんだんうまくなった。水音と悲鳴とをきくと、老婆は急に身を起して裏へかけ出した。そこに立てかけてある竿を取り上げて、漁夫が鉾《ほこ》で鯉でも突くような構えで水面を睨んで立って、あがいている自殺者の前に竿を巧みに差し出した。竿が目の前に来た時に取りつかない投身者は一人もないといってよかった。それを老婆は懸命に引き上げた。通りがかりの男が手伝ったりする時には、老婆は不興であった。自分の特権を侵害されたような心持がしたからである。老婆はこのようにして、四十三の年から五十八の今までに、五十いくつかの人命を救うている。だから褒賞《ほうしょう》の場合の手続などもすこぶる簡単になって、一週で金が下るようになった。政庁の役人は「お婆さんまたやったなあ」と笑いながら、金を渡した。老婆も初めのように感激もしないで、茶店の客から大福の代を貰うように、「おおきに」といいながら受け取った。世間の景気がよくて、二月も三月も投身者のない時には、老婆はなんだか物足らなかった。娘に浴衣地をせびられた時などにも、老婆は今度一円五十銭貰うたらといっていた。その時は六月の末で、例年《いつも》ならば投身者の多い季《とき》であるのに、どうしたのか飛び込む人がなかった。老婆は毎晩娘と枕を並べながら、
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