瞬間動作を止めて心のうちで化石してしまったように思えた。彼のその時まで、のんびりとしていた心持が、膠《にかわ》のように、急に硬着してしまった。彼の心全体が、その扉をことごとく閉じて、武装してしまったという方が、いちばんこの時の心持を、いい現しているかも知れなかった。雄吉は、身体にも心にも、すっかり戦闘準備を整えて、青木の近よるのを待った。
初めて青木を発見したのは、ほんの二、三間前であったのだから、青木が雄吉に近よるのは、二、三秒もかからなかった。雄吉の心持にも劣らないほどの大きな激動が、青木の心のうちにも、存在しないはずはなかった。その上、青木は雄吉のほとんど仇敵に対するような、すさまじい目の光を見ると、心持瞳を伏せたまま近よった。
二人は目を見合わした。雄吉の目は相手に対する激しい道徳的叱責と、ある種の恐怖に燃えていた。青木の目は、それに対して反抗に輝きながら、しかも不思議に屈従と憐憫《れんびん》を乞うような色を混じえていた。二人はそれでも頭を下げ合うた。
「やあ!」雄吉は、硬ばったような声を出した。
「やあ!」青木は、しわがれて震える声を出した。雄吉は、さっきから青木に対して、どんな態度を取るべきかを、必死に考えていた。青木の出京! それは彼にとって、夢にも予期しないことだった。しかも、その青木と不用意に、銀座通りで出会《でくわ》すなどということは、彼の予想すべき最後のことであった。彼は狼狽してはならないと思った。彼は過去において、青木と交渉したことによって、自分の人生を棒に振ってしまうほどの、打撃を受けていた。その打撃を受けてから六年の間に、彼は、そのためにどれほど苦しみどれほど不快な思いをしたか、分からなかった。が、その苦痛と不快とに堪えたために、彼は今ではその打撃をことごとく補うことができた。今では、青木との交渉によって負うた手傷を、ことごとく癒《いや》すことができたと思っている。しかし、今でも、過去における苦痛と不快との記憶は、ともすれば彼の心に蘇《よみがえ》って、彼の幸福な心持を掻きみだしていった。そして、その打撃から、起因するすべての苦しみを苦しみ、すべての不快を味わうごとに、彼は青木を憎みかつ恨んだ。そして、今ようやくそれらの打撃から立ち直って、やや光明のある前途が拓かれようとする時に、昔の青木が、五、六年も見たことのない青木が、彼の平静な安
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