てくれるために、北条征伐と云う大軍を、秀吉が起してくれたわけで、可なり嬉しかったに違いないだろうと思う。関ヶ原の時に昌幸が一も二もなく大阪に味方したのは、此の時の感激を思い起したのであろう。
 これは余談だが、小田原落城後、秀吉は、その時の使節たる坂部岡江雪斎を捕え、手枷《てかせ》足枷をして、面前にひき出し、「汝の違言に依って、北条家は亡《ほろ》んだではないか。主家を亡して快きか」と、罵《のの》しった。所が、この江雪斎も、大北条の使者になるだけあって、少しも怯《わる》びれず、「北条家に於て、更に違背の気持はなかったが、辺土の武士時務を知らず、名胡桃を取りしは、北条家の運の尽くる所で、是非に及ばざる所である。しかし、天下の大軍を引き受け、半歳《はんさい》を支えしは、北条家の面目である」と、豪語した。
 秀吉その答を壮とし「汝は京都に送り磔《はりつけ》にしようと思っていたが」と云って許してやった。その時丁度奥州からやって来ていた政宗を饗応するとき江雪斎も陪席しているから、その堂々たる返答がよっぽど秀吉の気に叶ったのであろう。
 とにかく、最初徳川家と戦ったとき、秀吉の後援を得ている。わが領地の名胡桃を北条氏が取ったと云う事から、秀吉が北条征伐を起してくれたのだから、昌幸は秀吉の意気に感じていたに違いない。
 その後、昌幸は秀吉に忠誠を表するため、幸村を人質に差し出している。だから、幸村は秀吉の身辺に在りて、相当好遇されたに違いない。

[#7字下げ]関ヶ原役の真田[#「関ヶ原役の真田」は中見出し]

 関ヶ原の時、真田父子三人家康に従って、会津へ向う途中、石田三成からの使者が来た。昌幸、信幸、幸村の兄弟に告げて、相談した。
 昌幸は、勿論大阪方に味方せんと云った。兄の信幸、内府は雄略百万の人に越えたる人なれば、討滅《うちほろぼ》さるべき人に非ず、徳川方に味方するに如《し》かずと云う。
 茲《ここ》で、物の本に依ると、信幸、幸村の二人が激論した。佐々木味津三君の大衆小説に、その激論の情景から始まっているのがあったと記憶する。
 信幸、我本多に親しければ石田に与《くみ》しがたしと云うと、幸村、女房の縁に引かれ父に弓引くようやあると云う。
 信幸、石田に与せば必ず敗けるべし、その時党与の人々必ず戮《りく》を受けん。我々父と弟との危きを助けて家の滅びざらんことを計るべしと。幸村曰く、西軍敗れなば父も我も戦場の土とならん。何ぞ兄上の助けを借らん。天正十三年以来豊家の恩顧深し、石田に味方するこそ当然である。家も人も滅ぶべく死すべき時到らば、潔《いさぎよ》く振舞うこそよけれ、何条汚く生き延びることを計らんやと。信幸怒って将《まさ》に幸村を斬らんとした。幸村は、首を刎《は》ねることは許されよ、幸村の命は豊家のために失い申さん、志なればと云った。昌幸仲裁して、兄弟の争い各々その理あり、石田が今度のこと、必ずしも秀頼の為の忠にあらずと、信幸は思えるならん。我は、幸村と思う所等しければ、幸村と共に引き返すべし。信幸は、心任せにせよと云って別れたと云う。
 この会談の場所は、佐野天妙であるとも云い、犬伏《いぬぶし》と云う所だと云う説もある。此の兄弟の激論は、恐らく後人の想像であろうと思う。信幸も幸村も、既に三十を越して居り、深謀遠慮の良将であるから、そんな激論をするわけはない。まして、父と同意見の弟に斬りかけようとするわけはない。必ず、しんみりとした深刻な相談であったに違いない。
 後年の我々が知っているように、石田方がはっきり敗れるとは分っていないのだから、父子兄弟の説が対立したのであろう。そして、本多忠勝の女婿《じょせい》である信幸は、いつの間にか徳川に親しんでいたのは、人間自然の事である。
 そして、昌幸の肚の中では、真田が東西両軍に別れていればいずれか真田の血脈は残ると云う気持もあっただろう。敗けた場合には、お互に救い合おうと云うような事も、暗々裡には黙契があったかも知れない。父子兄弟とも、頭がいいのであるから、大事な場合に、激論などする筈はない。後世の人々が、その後の幸村の行動などから、そんな情景を考え出したのであろう。
 真田が東西両軍に別れたのは、真田家を滅ぼさないためには、上策であった。相場で云えば売買両方の玉《ぎょく》を出して置く両建と云ったようなものである。しかし、両建と云うのは、大勝する所以《ゆえん》ではない。真田父子三人家康に味方すれば、恐らく真田は、五十万石の大名にはなれただろう。信幸一人では、やっと、十何万石の大名として残った。
 しかし、関ヶ原で跡方もなく亡んだ諸侯に比ぶれば、いくらかましかも知れない。
 信幸、家康の許へ行くと、家康喜んで、安房守が片手を折りつる心地するよ、軍《いくさ》に勝ちたくば信州をやる証《しるし》ぞと
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