おぼしめ》さば、せめて九|国《ごく》の端までも、送り届け得させたまえ」
 が、俊寛の声は、渚《なぎさ》を吹く海風に吹き払われて、船へはすこしもきこえないのだろう。闇の中に、一の灯もなく黒く纜《もや》っている船からは、応という一声さえなかった。
 夜が更《ふ》くるにつけ、俊寛の声は、かすれてしまった。おしまいには、傷ついた海鳥が泣くようなかすかな悲鳴になってしまった。が、どんなに声がかすれても、根よく叫びつづけた。
 そのうちに、夜はほのぼのと明けていった。朝日が渺々《びょうびょう》たる波のかなたに昇ると、船はからからと錨を揚げ、帆を朝風にばたばたと靡《なび》かせながら巻き上げた。俊寛は、最後の叫び声をあげようとしたけれども、声はすこしも咽喉《のど》から出なかった。船の上には、右往左往する水夫《かこ》どもの姿が見えるだけで、成経、康頼はもとより、基康も姿を現さない。
 見る間に船は、滑るように動き出した。もう、乗船の望みは、すこしも残ってはいなかったが、それでも俊寛は船を追わずにはいられなかった。船は、島に添いながら、北へ北へと走る。俊寛は、それを狂人のように、こけつまろびつ追った。が、三十町も走ると、そこは島の北端である。そこからは、翼ある身にあらざれば追いかけることができない。折から、風は吹きつのった。船の帆は、張り裂けるように、風を孕《はら》んだ。船は見る見るうちに小さくなっていく。俊寛は、岸壁の上に立ちながら、身を悶えた。もう声は、すこしも出ない。ただ、獣のように岸壁の上で狂い回るだけだった。
 船は、俊寛の苦悶などには、なんの容赦もなく、半刻も経たないうちに、水平線に漂《ただよ》う白雲のうちに、紛れ込んでしまった。船の姿を見失ったとき、俊寛は絶望のために、昏倒《こんとう》した。昨夜来叫びつづけた疲労が一時に発したのだろう、そのまま茫として眠り続けた。

 彼は、その岸壁の上で、昏倒したまま、何時間眠っていたかは、自分にも分からなかった。一度目覚めたときは、夜であった。彼は、自分の頭の上の大空が、大半は暗い雲に覆われて、そのわずかな切れ目から、二、三の星が瞬《またた》いているのを見た。彼は激しい渇きと、全身を砕くような疼痛《とうつう》を感じた。
 彼は、水を飲みたいと思いながら、周囲を見回した。が、岸壁の背後は、すぐ磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《ぎょうかく》な山になっているらしく、小川とか泉とかが、ありそうに思えなかった。それでも、激しい渇きは、彼を一刻もじっとしていさせなかった。彼は、寝ていた岩から、身を剥《は》がすようにして立ち上った。立ち上るとき、身体のもろもろの関節が、音を立てて軋《きし》るように思った。彼は、それでも這《は》うようにして、岸壁を降りることができた。彼は昼間(それは昨日であるのか一昨日であるのか分からなかったが)夢中で走った道を、二町ばかり引返した。彼は、昼間そこを走ったとき、榕樹《ようじゅ》が五、六本生えていて、その根に危く躓《つまず》きそうになったのを覚えていた。彼の濁ってしまっている頭の中でも、榕樹の周囲を探せば水があるかも知れないという考えが、ぼんやり浮んでいた。
 が、榕樹の生えている周囲を、海の水あかりで、二、三度探して回ってみたけれども、そこらは一面に唐竹《からたけ》が密生しているだけで、水らしいものは、すこしも見当らない。俊寛は、その捜索に残っていた精力を使いつくして、崩れるように地上へ横たわると、再び昏々として眠りはじめた。
 二度目に目が覚めたとき、それは朝だった。疲れ萎《しな》びている俊寛の頬にも、朝の微風が快かった。彼が目を開くと、自分の身体の上に茂り重っている蒼々《そうそう》たる榕樹の梢《こずえ》を洩れたすがすがしい朝の日光が、美しい幾条の縞《しま》となって、自分の身体に注いているのを見た。さすがに、しばらくの間は、清らかな気持がした。が、すぐ二、三日来の出来事が、悪夢のように帰ってき、そして激しい渇きを感じたので、彼はよろよろと立ち上った。それでも、縹渺《ひょうびょう》と無辺際《むへんざい》に広がっている海を、未練にももう一度見直さずにはいられなかった。が、群青色《ぐんじょういろ》にはろばろと続いている太平洋の上には、信天翁《あほうどり》の一群が、飛び交《こ》うているほかは、何物も見えない。成経や康頼を乗せた船が、今まで視野の中に止っているはずはなかった。
 彼が再び地上に身を投げたとき、身を焼くような渇きと餓えとが、激しく身に迫ってきた。
 彼は、赦免の船が来て以来、何も食っていないのだった。基康はさすがに彼をあわれがって、船の中で炊《かし》いだ飯を持って来てくれたのであるが、瞋恚《しんい》の火に心を焦《こが》していた俊寛は、その久しぶりの珍味にも目もくれないで、水夫《かこ》の手から、それを地上に叩き落とした。むろん、今でも自分の小屋まで帰れば乾飯《ほしい》もたくさん残っている。が、俊寛には一里に近い道を歩く勇気などは、残っていなかった。
 激しい渇きと餓えとは、彼の心を荒《すさ》ませ、自殺の心を起させた。彼は、目の前の海に身を投げることを考えた。そうして、なぜ基康の船がいるうちに、死ななかったかを後悔した。基康や、あの裏切者の成経や康頼の目前で死んだならば、すこしは腹癒《はらい》せにもなるのだったと思った。今死んでは犬死にであると思った。が、死のうという心は変らなかった。帰洛《きらく》の望みを永久に断たれながら暮していくことは、彼には堪えられなかった。二十間ばかり向こうの岸に、一つの岩があり、その下の水が、ことさらに深いように見えた。
 彼が、決心して立ち上ったとき、彼はふと水の匂いを嗅いだ。それは、真水《まみず》の匂いであった。極度に渇している彼の鼻は、犬のように鋭くなっているのだった。彼は、水の匂いを嗅ぐと、その方角へ本能的に走り出した。唐竹の林の中を、彼は獣のように潜《くぐ》った。十問ばかり潜ったとき、その林が尽きて、そこから岩山が聳《そび》えていた。
 ふと、そこに、大きい岩を背後《うしろ》にして、この島には珍しい椰子《やし》の木が、十本ばかり生えているのを見た。そしてその椰子に覆われた鳶色《とびいろ》の岩から、一条の水が銀の糸のように滴《したた》って、それが椰子の根元で、小さい泉になっているのを見た。水は、浅いながらに澄み切って、沈んでいる木の葉さえ、一々に数えられた。渇し切っている俊寛は、犬のようにつくばって、その冷たい水を思い切りがぶがぶ飲んだ。それが、なんという快さであっただろう。それは、彼が鹿ヶ谷の山荘で飲んだいかなる美酒にも勝《まさ》っていた。彼が、その清冽《せいれつ》な水を味わっている間は、清盛に対する怨みも、島にただ一人残された悲しみも、忘れ果てたようにすがすがしい気持だった。彼は、蘇《よみがえ》ったような気持になって立ち上った。そして、椰子の梢を見上げた。すると、梢に大きい実が二つばかり生《な》っているのを見た。俊寛は、疲労を忘れて、猿のようによじ登った。それを叩き落すと、そばの岩で打ち砕き、思うさま貪《むさぼ》り食った。
 彼は、生れて以来、これほどのありがたさと、これほどのうまさとで、飲食したことはなかった。彼は椰子の実の汁を吸っていると、自分の今までの生活が夢のように淡く薄れていくのを感じた。清盛、平家の一門、丹波少将《たんばのしょうしょう》、平判官《たいらのはんがん》、丹左衛門尉《たんさえもんのじょう》、そんな名前や、そんな名前に対する自分の感情が、この口の中のすべてを、否、心の中のすべてを溶かしてしまうような木の実の味に比べて、まったく空虚なつまらないもののような気がしはじめた。
 俊寛は、口の中に残る快い感覚を楽しみながら、泉のほとりの青草の上に寝た。そして、過去の自分の生活のいろいろな相《そう》を、心の中に思い出してみた。都におけるいろいろな暗闘、陥擠《かんせい》、戦争、権勢の争奪、それからくる嫉妬、反感、憎悪。そういう感情の動くままに、狂奔《きょうほん》していた自分のあさましさが、しみじみ分かったような気がした。船を追って狂奔した昨日の自分までが、餓鬼《がき》のようにあさましい気がした。煩悩《ぼんのう》を起す種のないこの絶海の孤島こそ、自分にとって唯一の浄土ではあるまいか。康頼や成経がそばにいたために、都の生活に対する、否、人生に対する執着が切れなかったのだ。この島を仮のすみかと思えばこそ、硫黄ヶ岳に立つ煙さえ、焦熱地獄に続くもののように、ものうく思われたのだ。こここそ、ついのすみか[#「すみか」に傍点]だ。あらゆる煩悩と執着とを断って、真如《しんにょ》の生活に入る道場だ。そう思い返すと、俊寛は生れ変ったような、ほがらかな気持がした。
 ふと、寝がえりを打つと、すぐ自分の鼻の先に、撫子《なでしこ》に似た真っ赤な花が咲いていた。それは、都人《みやこびと》の彼には、名も知れない花だった。が、その花の真紅《しんく》の花弁が、なんという美しさと、清らかさを持っていたことだろう。その花を、じっと見詰めていると、人間のすべてから知られないで、美しく香《にお》っている、こうした名も知れない花の生活といったようなものが考えられた。すると、孤島の流人である自分の生活でさえ、むげ[#「むげ」に傍点]に生甲斐のないものだとは思われなくなった。彼は、自殺しようとした自分の心のあさはかさを恥じた。彼の心には、今新しい力が湧いた。彼は勇躍して立ち上った。そして、海岸へ走り出た。いつもは、魂も眩《くら》むようにものうく思われた大洋が、なんと美しく輝いていたことだろう。十分昇り切った朝の太陽のもとに、紺碧《こんぺき》の潮が後から後から湧くように躍っていた。海に接している砂浜は金色《こんじき》に輝き、飛び交うている信天翁《あほうどり》の翼から銀の光を発するかと疑われ、いつもは見ることを厭っていた硫黄ヶ岳に立つ煙さえ、今朝は澄み渡った朝空に、琥珀色《こはくいろ》に優にやさしくたなびいている。
 俊寛は、童《わらべ》のようなのびやかな心になりながら、両手を差し広げ、童のように叫びながら自分の小屋へ駆け戻った。

          三

 島に来て以来一年の間、俊寛の生活は、成経や康頼との昔物語から、謀反の話をして、おしまいにはお互いの境遇を嘆き合うか、でなければ、砂丘の上などに登りながら、波路《なみじ》遥かな都を偲《しの》んで溜息をつきながら、一日を茫然と過ごしてしまうのであったが、俊寛はそうした生活を根本から改めようと決心した。
 彼は、つとめて都のことを考えまいとした。従って、成経や康頼のことを考えまいとした。彼は、成経や康頼が親切に残して置いてくれた狩衣《かりぎぬ》や刺貫《さしつら》を、海中へ取り捨てた。長い生活の間には、衣類に困るのは分かりきっていた。が、困ったら、土人のように木の皮を身に纏《まと》うても差支えないと考えた。
 その上、三人でいた間は、肥前《ひぜん》の国《くに》加瀬《かせ》の荘《しょう》にある成経の舅《しゅうと》から平家の目を忍んでの仕送りで、ほそぼそながら、朝夕《ちょうせき》の食に事を欠かなかった。そのためでもあるが、三人は大宮人《おおみやびと》の習慣を持ちつづけて、なすこともなく、毎日暮していた。俊寛は、そうした生活を改め、自分で漁《すなど》りし、自分で狩りし、自分で耕《たがや》すことを考えた。
 彼は、そういう生活に入る第一歩として、成経や康頼の記憶がつきまとっている今までの小屋を焼き捨て、自分で発見したあの泉の畔《ほとり》に、新しい家を自分で建てることを考えた。
 彼は、その日から、泉に近い山林へ入って、木を伐った。彼が持っている道具は、一挺の小さい鉞《まさかり》と二本の小太刀であった。周囲が一尺もある木は、伐り倒すのに四|半刻《はんどき》近くかかった。が、彼が額《ひたい》に汗を流しながら、その幹に鉞を打込むとき、彼は名状しがたい壮快な気持がする。清盛に対する怨みなどは、そうした瞬間、泡のように彼
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