。紙に向って小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。
とにかく、自分が、書きたいこと、発表したいもの、また発表して価値のあるもの、そういうものが、頭に出来た時には、表現の形は、恰《あたか》も、影の形に従うが如く、自然と出て来るものだ。
そこで、いわゆる小説を書くには、小手先の技巧なんかは、何んにも要《い》らないのだ。短篇なんかをちょっとうまく纏《まと》める技巧、そんなものは、これからは何の役にも立たない。
これほど、文芸が発達して来て、小説が盛んに読まれている以上、相当に文学の才のある人は、誰でもうまく書くと思う。
そんなら、何処《どこ》で勝つかと言えば、技巧の中に匿《かく》された人生観、哲学で、自分を見せて行くより、しようがないと思う。
だから、本当の小説家になるのに、一番困る人は、二十二三歳で、相当にうまい短篇が書ける人だ。だから、小説家たらんとする者は、そういうようなちょっとした文芸上の遊戯に耽《ふけ》ることをよして、専心に、人生に対する修業を励むべきではないか。
それから、小説を書くのに、一番大切なのは、生活をしたということである。実際、古語にも「可愛い子には旅をさせろ」というが、それと同じく、小説を書くには、若い時代の苦労が第一なのだ。金のある人などは、真に生活の苦労を知ることは出来ないかも知れないが、とにかく、若い人は、つぶさに人生の辛酸を嘗《な》めることが大切である。
作品の背後に、生活というものの苦労があるとないとでは、人生味といったものが、何といっても稀薄だ。だから、その人が、過去において、生活したということは、その作家として立つ第一の要素であると思う。そういう意味からも、本当に作家となる人は、くだらない短篇なんか書かずに、専《もっぱ》ら生活に没頭して、将来、作家として立つための材料を、蒐集すべきである。
かくの如く、生活して行き、而して、人間として、生きて行くということ、それが、すなわち、小説を書くための修業として第一だと思う。
[#地付き](一九二三年十二月)
底本:「半自叙伝」講談社学術文庫、講談社
1987(昭和62)年7月10日第1刷発行
入力:大野晋
校正:noriko saito
2005年1月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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