ころなのです。あの暑い印度のこと、大きな船のこと、甲板《かんぱん》のこと、船の上で知り合いになった小母《おば》さん達のことなど思い起しますと、今この霧の町を妙な馬車で通っていることさえ、不思議に思われてなりませんでした。セエラは父の方にぴたりと身を寄せて、
「お父様。」と囀《ささや》きました。
「何だえ、嬢や?」クルウ大尉はセエラをひしと抱きしめて、娘の顔を覗きこみました。「何を考えているの?」
「ねえ、これがあそこ[#「あそこ」に傍点]なの?」
「うむ、そうだよ。とうとう来たのだよ。」
 セエラはほんの七歳でしたが、そういった時の父が、悲しい思い出に打たれていることを悟りました。
 父がセエラの口癖の「あそこ」のことを話し出したのは、ずっと前のことでした。母はセエラの生れた時亡くなってしまいましたので、セエラは母のことは何も知らず、したがって恋しいとも思いませんでした。若くて、風采《ふうさい》の立派な、情愛の深い父こそは、セエラにとってたった一人の肉親でした。父子《ふたり》はいつも一緒に遊び、お互にまたなきものと思っていました。セエラは皆が彼女に聞えないつもりで話しているのを耳にして、父は裕福なのだと知りました。それで、彼女も大きくなれば裕福になるのだと知りました。裕福とはどんなことか、それはセエラには解りませんでした。が、セエラは美しい平屋建《バンガロー》に住んでいましたし、召使はたくさんいましたし、何でもセエラの自由にならないものはありませんので、こんなのが裕福というのかなと彼女は思っていました。
 七歳《ななつ》になるまでの間にセエラの気がかりになっていたことは、いつか伴《つ》れて行かれる「あそこ」のことだけでありました。印度の気候は子供達の体によくなかったので、印度で生れた子供達は出来るだけ早く英国へ送られ、英国の学校に入れられるのでした。セエラはよその子供達が英国へ帰って行くのを見たり、親達が子供から受けとった手紙の話をしているのを、聞いたりしました。で、セエラもいつかは印度を去ることになるのだろうと思っていました。父が時々してくれる航海の話、新しいお国の話には惹きつけられないでもありませんでした。が、あそこ[#「あそこ」に傍点]に行けば、父と一緒にいることが出来ないのだと思うと、セエラの胸は痛むのでした。
「パパさんは、あそこ[#「あそこ」に傍点]へ一
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