ている上に、いい賭場が、開いているというと、五里十里もの遠方まで出かけて行くという有様で、賭博に身も心も、打ち込んでいったのです。天性の賭博好きというのでしょう。勝っても負けても、にこにこ笑いながら、勝負を争っていたそうです。それに豪家の主人だというので、どこの賭場でも『旦那旦那』と上席に座らされたそうですから、つい面白くって、家も田畑も、壺皿の中へ叩き捨ててしまったのでしょう。むろん時々は勝ったこともあるのでしょうが、根が素人ですから、長い間には負け込んで、田畑を一町売り二町売り、とうとう千石に近かった田地を、みんな無くしてしまったそうです。おしまいには、賭博の資本にもことを欠いて、祖母の櫛や笄《こうがい》まで持ち出すようになったそうです。しまいには、住んでいる祖先伝来の家屋敷まで、人手に渡すようになってしまったのです。
 が、祖父のこうした狂態や、それに関した逸話などはたくさんききましたが、たいてい忘れてしまいました。私が、今もなお忘れられないのは、祖父の晩年についての話です。
 祖父が、本当に目が覚めて、ふっつりと賭博を止めたのは、六十を越してからだということです。それまでは、財産を一文なしにしてしまった後までも、まだ道楽が止められないで、それかといって大きい賭場には立ち回られないので、馬方や土方を相手の、小賭博まで、打つようになっていたそうです。それを、祖母やその頃二十五、六にもなっていた私の父が、涙を流して諫めても、どうしても止めなかったそうです。
 が、祖父の道楽で、長年苦しめられた祖母が、死ぬ間際になって、手を合せながら、
『お前さんの代で、長い間続いていた勝島の家が、一文なしの水呑百姓になってしまったのも、わしゃ運だと諦めて、厭いはせんが、せめて死際に、お前さんから、賭博は一切打たんという誓言をきいて死にたい。わしは、お前さんの道楽で長い間、苦しまされたのだから、後《あと》に残る宗太郎やおみね(私の父と母)だけには、この苦労はさせたくない。わしの臨終の望みじゃほどに、きっぱり思い切って下され』と、何度も何度も繰り返して、口説いたのがよほど効いたのでしょう、義理のある養家を、根こそぎ潰してしまった我悔《がかい》が、やっと心のうちに目ざめたのでしょう。また年が年だけに考えもしたのでしょう、それ以来は、生れ変ったように、賭博を打たなくなってしまったのです。
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