すのはなんでもない。その場合には、氏元の寵臣《ちょうしん》を助けた自分の位置はすこぶる有利になるだろうと考えた。右衛門も普通の人間がつくぐらいの嘘はつくことができた。彼は乱軍の中で主人と別れ別れになった不幸をはじめとし、世を忍ぶために物具《もののぐ》を自分で捨てた話などを、言葉巧みにした。刑部はこれを疑う材料もなかったので、一室に請《しょう》じて、万一の場合、後で苦情をいわれぬくらいには歓待した。
 刑部は織田と今川との中間に位しているので、欧州戦争のギリシャのように、どっちへも付かずにうまくやっていたのである。三浦右衛門を養いながら彼は手を回して氏元の消息を探った。ところが氏元は織田勢に追い詰められて腹を切って死んだということがわかった。その知らせの挿話として、氏元の寵を一身に集めた三浦右衛門は、府中落城のその日に早くも主君を捨てて逐電《ちくでん》したということが添えられた。この知らせを聞いて刑部の考えついた政策はすこぶる常識的であった。右衛門を首にして織田氏に差し出して自分の二心のないことを知らせることであった。右衛門を殺すには主君に対する忘恩の罰を責めてそれを口実にすればいいと思った。
 右衛門はたちまち縛り上げられた。その時代は、縛り上げる力さえあれば理由は要らなかったのである。右衛門は刑部の前に引き出された。刑部は戦争を始める時の欧州の文明国のように正義をちょっと借りて来た。
「右衛門、おのれは館《やかた》を見捨てた覚えがあろう、不忠不義者の首を刎《は》ねて館《やかた》に手向けるのじゃ」
 このくらい立派な理由は、戦国時代の殺人については希有なことである。しかしいくら理由が通っていても、殺される者の苦しさは同じである。否、理由があって殺される方が、無法に殺されるよりも苦しいことがある。ともかく右衛門は殺されたくなかった。彼は激しく戦慄し始めた。二、三日前に百姓に殺されかけた時には、相手の方にいくらかの威嚇が加わっていたが、今日の宣告は真実で、まぎれもない実現性を帯びている。彼はどう考えても死ぬということが嫌であった。彼の過去の生活は安逸と愉悦とにみちていた。彼はこの世の中ほど面白い所がほかにあるとは思えなかったのである。彼は全身で死を嫌がった。刑部が、
「太刀は惣八郎取れ」といった時には声を上げて泣き出した。刑部はあざわらって、
「右衛門、命は惜しいか」と
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