念があくまでも強かった若杉さんにとっては、身の毛もよだつほどの不平であったのです。彼は、国家の権力が、こうした野蛮な人間によって乱用せられることを、身震いするほど恐ろしく思いました。
 その晩、寄宿舎へ帰ってからも、そうした不正に対する義憤は、なかなか静まりませんでした。床に就いてからも、またそのことを思い続けていました。その時にふと、将来法律を学んで、こうした無辜《むこ》の人々のために、侃諤《かんがく》の弁を振ってみようかという考えが、若杉さんの心に浮びました。
 若杉さんが、法科を選んだ遠因は、おそらくそこにあるのでしょう。が、直接の原因は、自分の尊敬する森田君が、急に文科を見限って法科に転じたためでしょう。その頃は、まだ今のように、法科生過剰の現象はありませんでしたから、法科へ転科するのは、今よりもずっと容易でした。が、弁護士になるはずであった若杉さんは、弁護士があまりに世俗的な、あまりに実際的な商売であるのに、嫌気がさし、卒業間際になってから、志を翻して、司法官になったのです。
 こうした経歴を持っている若杉裁判長が、普通の裁判官に比して、より内面的で、より人道的で、悪人や罪人を普通の人間とはまったく違った生存物だと見るような弊が少しも無かったのも当然だと思われます。その上若杉さんの罪悪観には、キリスト教的の分子が、よほど多量に含まれていた上に、すべての犯罪においても、人間的《ヒューマン》な動機を十分汲み取ることができたので、どうしても罪人を憎みきれなかったのでしょう。この罪人の血管を流れている血も、俺の血管を流れている血も、そう大した相違があるものではないという、裁判官としてはあまりに人間的《ヒューマン》に過ぎた信念が、常に若杉さんの裁判心理の中に動いていたのでしょう。もう一つ若杉さんの心理に動いていた感情は、どんなことがあっても、冤罪《えんざい》の人を作ってはならぬという考えでした。よく裁判の話の時に、引き合いになる格言ですが、「たとい九人の有罪者を逸するとも、一人の冤罪者《えんざいしゃ》を作ることなかれ」という戒《いまし》めです。若杉さんの胸には、そうした考慮が常に激しく動いていたらしいのです。
 まあ、言葉を換えていいますれば、若杉裁判長の判決がいかにも寛大であったということは、裁判長の人道的《ヒューマニスチック》な人格からの当然の帰結だといってもよ
前へ 次へ
全11ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング