る時などは、世人は刑罰が軽ければ軽いほど、一種の快感を感ずるものです。まして、その被告人に少しでも縁故のある人たちが欣ぶのは、無理もありません。こうした訳合で、若杉裁判長が、いつの間にか名裁判長の名を謳われ出したのも、決して不道理ではありますまい。
 むろん、若杉裁判長が、罪ということについて、普通の裁判長とは、まったく違った考えを懐いていたことも当然なことです。この人は、どちらかといえば、決して、裁判官という柄ではなかったのです。あの薄暗い法廷で厳しい顔をしている法官としては、あまりに繊細な感情を持ち過ぎていたのです。実際当人も、最初から法科を、やろうなどという意志は、毛頭無かったのです。東京の高等学校にいた頃は、文科で、しかも哲学志望でありました。当人の考えでは、将来は教育家になるつもりでいたらしいのです。むろん教育家といっても、人間の精神に強い力を与え得るような、本物の教育家になるつもりでいたのです。が、教育家志望の若杉浩三がどうして法科に転じたかについては、二つの原因があります。一つは、非常に崇拝していた森田という同窓生が、急に文科志望を止めて、法科へ転ずる決心をしたからです。なんでも、森田という人は、一年からずうっと文科の首席を通してきた人ですが、卒業する半年前になると、その人の兄さんという人が、「将来文科では、とても飯が食えない。このさい思い切って法科へ変ったらどうか」と、いってきたそうです。実際、文科を出て困っている実例はその頃も多かったとみえ、非常に聡明な森田という人は、すぐ転科をする決心をしたそうです。自分よりは成績もよく、学資も豊富な森田君が、将来の生活問題を気にして転科をするとなると、当時の若杉裁判長も、勢い首を傾けなければなりませんでした。
 その上に、若杉さんは、こうしたできごとに会っていたことがあります。なんでも、高等学校の確か二年生であった頃ですが、若杉さんは、ある晩、春日《かすが》町から伝通院《でんつういん》の方へ富坂《とみざか》を登っていたそうです。すると、半分ばかり、坂を上って右側にあるミルク屋の前に、二、三人、人だかりがしているのです。何かと思って立ち止まると、そのミルク屋の中から、土工体の男が、立派な服装《なり》をした紳士の右の手を、縄で縛って連れ出してくるのです。一組かと思うと、そうした組合せがいくつも後から出てくるのです。
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