ったことを、警察署が大騒ぎをやって恐喝取財という大事件にこさえ上げた観がないでもありませんでしたから。
 この時、若杉裁判長は、弁護士の弁論をききながら、自分の少年時代を回想していました。すると友達の悪太郎に使嗾《しそう》せられて、隣村の林檎畑《りんごばたけ》へ夜襲《ナイトレーデ》を行ったことを、歴然と思い出しました。それは少年の心をわくわくさせるようなロマンチックな冒険でした。それは、法律的に解釈すれば、立派な野外窃盗でした。が、少年時代に、ともすれば誰でも行いやすい奔放な自由な冒険的な悪戯を、ことごとく犯罪視することが、果して正当なことでしょうか。実際、若杉裁判長の心は、この少年に対する同情でいっぱいでありました。むろん、優等生で級長であったという事実も、裁判長の心を動かしたに違いありません。
 判決言い渡しの日は、この次の月曜日ということになって、法廷は閉じられました。
 翌日の新聞紙は、法廷の光景を伝えると同時に、少年が執行猶予の恩典に浴すべきことを、正確なる事実として、予想してありました。被告の少年に対する同情者も、またこのことについては少しの疑念も懐いておりませんでした。
 ところが、その判決があるという、月曜日の三日前、即ち金曜日の晩に、若杉裁判長の身に、偶然ある事件が起りました。
 と、いうのは、その金曜日の晩、それはなんでも三月の何日かに当っていました。若杉さんの家では、産後間もない夫人がまだ産褥《さんじょく》を離れていない時でした。もう男の子三人のお母さんでしたが、いつもお産が長びくので、産後の衰弱は、傍《はた》の見る目も痛々しかったほどです。でその晩も、常ならば夜遅くまで騒ぎ回る男の子も、宵から強制的に寝かされていました。そして若杉さんだけは、次の茶の間に身動きもせずに、寝ている妻に時々言葉を掛けながら、書斎で十二時頃まで、書見に耽《ふけ》っていましたが、十二時を打つを合図に、下女がその部屋に敷いて置いた床の中へ入りました。その時次の間の妻に、言葉を掛けましたが、もう寝てしまったと見えて返事はありませんでした。
 幾時間経ったでしょう。若杉さんは、ふと目をさましました。すると、夫人が寝ている茶の間とは反対の側の居間の方から、コトコトという音がきこえてきました。若杉さんは、大方鼠どもが、居間の棚のうえを駆け回っているのだと思って、再び目を閉じまし
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