であった。軽やかな夏の新装を身に着けた貴婦人たちの群が、ウヤズドフスキェの大通りを、いくつも流れていった。彼らは皆鮮やかな色彩のパラソルをかざしていたので、強い太陽の光を浴びた街は、万華鏡を覗いたような絢爛《けんらん》な光景を呈していたのであった。
戦争はどこにあるだろうと、イワノウィッチは思った。街路樹の陰の野天のカフェーにも、客がいっぱいに溢れて、アイスコーヒーなどを飲んでいた。
イワノウィッチをおどろかしたことは、まだたくさんあった。すべての劇場も活動写真《キネマ》も、興行を続けていた。ことに喜歌劇をやる小劇場には士官や兵卒が群集して、若い歌手の女たちに喝采を浴せているのであった。
ただ唯一の戦争の印としては、ポーランド王スタニスワフの古王宮たるヴィヌラフ宮殿の上に、一|旒《りゅう》の赤十字旗が、初夏の風に翻《ひるがえ》っているばかりであった。
イワノウィッチは、いよいよ出征と決まった時、心のうちで、すべての歓楽に別れを告げていた。その上、愛国的の興奮から従軍を志願しただけあって、最初は独軍の砲声を聞きながら、くだらない歌劇などに現《うつつ》を抜かしている士官や兵卒に、かなり大きい反感を持たずにはいられなかった。が、イワノウィッチは、若い青年であった。ことに彼の血には歓楽に脆《もろ》い南ロシア人の血が流れていた。
イワノウィッチが編入された、ワルシャワの守備の連隊が駐屯していたワジェンキ王宮の近所には、パガテラという有名な遊園地があった。そこには、喜歌劇や活動の小屋が、いくつもいくつも並んでいた。連隊の士官たちは、毎晩九時頃から、昼間の練兵の疲れをまったく忘れたかのように、銘々、緑色の新しい軍服に着替えて、髭《ひげ》をていねいに手入れして、小劇場の桟敷《さじき》に顔を並べていた。彼らは銘々花束や花輪を用意して、気に入った歌手の女に贈るのであった。イワノウィッチも、こうした歓楽にすぐ馴れてしまった。
イワノウィッチの注意を最初にひいた女は、リザベッタ・キリローナという歌手であった。彼女は一座のスターではなかった。が、その娘らしい表情と潤《うるお》いのある肉声とは、容易にイワノウィッチの心に食い入ってしまった。彼女の丸い顔立とやや黄味のかかった瞳とは、彼女のポーランド人であることを明らかに説明していた。彼女は、日陰に咲く淋しい草花のように、自分の周囲に、淋しい陰影を持っていた。やや感傷的なイワノウィッチは、彼女のこうした淋しさにかえって心をひかれるのであった。
彼は、毎夜必ずリザベッタの出演する白鳥座の桟敷に、身を置いた。そして、彼女があまり目立たぬ役を演じ終ると、決まって花束を贈ったのであった。
イワノウィッチがその女を獲るのは、ほんの僅かな労力であった。二十日も経たぬ頃には、彼は彼女と一緒に、ワルシャワの街の夜ふけに、馬車を走らせている自分を見出したのである。が、イワノウィッチは、自分の恋に恐ろしい競争者のあることにすぐ気がついたのである。幕が降りてから、歌手たちが銘々贈られた花束を手にして再び舞台に現れる時、リザベッタは、必ず二つの花束を持っていた。一つはイワノウィッチが贈ったものであったが、他の一つは何人《なんびと》によって贈られたのか分からなかった。人気の立たない、淋しいリザベッタは、二つ以上の花束を持っていることは、はなはだ希であったが、二つを欠いたことはなかった。イワノウィッチは、花束の代りに上等な花輪を贈ってみた。すると、リザベッタはまた二つの花輪を持って舞台に現れた。イワノウィッチが大きい花籠を贈ると、隠れた敵手《ライバル》は、またすぐ大きい花籠をリザベッタに贈って、その挑戦に応ずるのであった。
イワノウィッチは、相手の名をリザベッタにきくと、彼女は微笑をもらしながら、なんとも答えなかった。
が、間もなく、イワノウィッチの敵手《ライバル》を探る瞳に映じたのは、いつもこの小屋でよく顔を合わす同じ連隊の一等大尉のダシコフの姿であった。ダシコフは連隊副官を務めている大きい図体の男であった。この男は毎晩必ず一人で、桟敷に姿を見せていた。そしてきっと、花束を一つだけは用意しているのであった。
イワノウィッチは、本能的にこの男を、自分の競争者だと感じていた。イワノウィッチの感じは、彼をまったく欺《あざむ》かなかった。ある晩、彼は馬車を雇って、リザベッタが楽屋から出るのを迎えていた。
彼は、華やかな恋の欣《よろこ》びを感じながら、小柄なリザベッタを抱えるようにして、馬車に乗せて馭者《ぎょしや》に合図の手振りをした。その時であった。彼は楽屋口の閉場《はね》時の、混乱した群衆の中に、連隊副官のダシコフ大尉の蒼白な頬と、燃ゆるような二つの瞳とを見出したのである。イワノウィッチは怖ろしいものを見たように、
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