。怖ろしい格闘が起った。力において劣ったイワノウィッチは、敵のために、力いっぱい首筋を絞めつけられながら、ドアにぐいぐいと押さえつけられた。ダシコフは、もう自分の完全な勝利を信じていた。
「どうだ! わしは自分の命令を、完全に遂行する力を持っているのだ。本当の力を持っているのだ」彼はやや息を切らしながら、こう叫んだ。そして完全にイワノウィッチを室外に放逐するための、最後の努力をしようとしていた。その瞬間である、偶然自由を得たイワノウィッチの右の手は、自分の腰に吊した拳銃の革袋を探っていたのである。
ちょうどダシコフが、イワノウィッチを室外に引きずり出した時、奇妙に押し潰されたような拳銃の音が響いたかと思うと、大きいダシコフの身体がよろよろと室内に転げ込んだまま、激しい音をさせながら、そこに、へたばってしまった。そしてすぐそれを追うように、これもよろよろとしたイワノウィッチの蒼白《まっさお》な顔が現れた。イワノウィッチは、しばらくは、ダシコフのびくびくする四肢を、見つめながら茫然と立っていた。ダシコフの上着についた血のにじみが、みるみるうちに大きく広がっていく、蒼白に変っていく大尉の顔を見ていると、深い悔恨が、だんだんイワノウィッチの心を蝕《むしば》んでいった。
イワノウィッチは、悔恨のほかには何物もないような気持になって、軽い戦慄を覚え始めたのである。
ふと気がつくと、リザベッタは、先刻から興奮に痛められた神経が、最後の銃声によって止めを刺されたと見え、卒倒したまま蒼白な顔を電気の光に晒《さら》しているのであった。
イワノウィッチの心には、悔恨の根がいよいよ深く入っていった。彼は善良な学生であり、愛国的の熱情を湧かしていた自分の近い過去が思い出された。しかもその自分が、戦争に行く前夜に、上級の将校を殺したということが、彼には、もう恐ろしい罪悪として、心のうちにひしひしと感ぜられ始めてきた。
彼は、やや震えている自分の右の手にしっかりと拳銃を掴み直して、自分の咽喉へ擬したのである。
が、考えてみると、ここで命を捨てるのは、かなりにばからしいことであった。もう独軍の重砲弾が、盛んにワルシャワの外郭《がいかく》を見舞っている。自分は、夜が明ければ、この鏖殺的《おうさつてき》な砲弾の洗礼を受くべく戦場へ向うのである。拳銃よりも、敵の巨砲の方が自殺の凶器としてはど
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