間が、意識して嘉平次を煽《おだ》てにかかった。
「うむ! なるほど、なるほど」
 一座の者は、初めてきいたように感嘆した。好人物の嘉平次を煽ててやろうという心がみんなの心に少しずつ湧いていた。
「えへへへへへ、そいつを知っておられると、お恥かしい!」
 嘉平次は、恥かしそうに、頭を掻いた。が、恥かしそうにしたのは、表面だけである。彼が大名のお膳番を勤めたということは、彼の好んでつく嘘だった。彼は、酒を飲むと決ったようこの嘘をついた。もう、この屋敷へ来てからも、二、三度は繰り返した嘘である。
 本当に、讃州丸亀の京極の藩中でお膳番を勤めたのは、彼の旧主の鈴木源太夫である。彼は源太夫の家に中間として長い間仕えていたために、見様見真似に包丁の使い方を覚えたのに過ぎないのである。
「お膳番といえば、立派なお武士《さむらい》だ!」
 お庭番の中間が、のしかかるように、煽てた。嘉平次は、そういってくれるのを待っていたのである。が、彼はまた頭を掻いてみせた。
「お膳番なんて、武士《さむらい》のはしくれでさ、知行といって、僅か二十石五人扶持、足の裏にくっついてしまいそうな糊米ほどしかありませんや」
 彼は、いかにもそれを軽蔑したような口調で、二十石五人扶持といったが、彼の旧主の鈴木源太夫の知行でさえ、本当は十石三人扶持しか取っていなかった。
「二十石五人扶持! 俺たちは、生涯にたった一度でもいいから、ありついてみたいものだ!」
 お庭番の中間は、執拗に油をかけた。
「立派な上士格だ!」中間頭の左平までが、相槌を打った。
 嘉平次は、相好を崩しながら、えへらえへらと笑った。実際お膳番を勤めていたのは、旧主の鈴木源太夫ではなくして、自分であったような気持にさえなっていた。
「道理で、包丁の味が違ってらあ!」
「この三杯酢の味なんか、お大名料理の味だ!」
 嘉平次は、有頂天になっていた。彼は、お大名のお膳番の苦心談といったようなものを、話しはじめようかと思っていた。が、話題は彼の予期しない方へそれてしまった。
「そのお前さんが、どうしてまた、二十石の武士を棒に振りなさったのだ!」
 左平が、崩れていた膝頭を立て直しながらきいた。嘉平次は、ちょっと狼狽した。彼は、ただ自分が昔お膳番を勤めていたとさえ思われさえすればよかったのだ。それから先の嘘は、少しも準備してはいなかったのだ。
「それがさ
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