き上がった薪束を、痩せた肩に担ぎ上げて、歩みさろうとする老僧を呼び止めた。
「何御用!」
 彼は、敵の言葉を初めて耳にしたのである。また、心が乱れようとするのを抑えた。
「貴僧にききたいことがある」
「なんじゃ」
 老僧は落ち着きかえっている。
「余の儀でない。貴僧はもと雲州松江の藩中にて、鳥飼八太夫とは申されなかったか」
 僧の顔色は動いた。が、言葉は爽やかであった。
「お言葉の通りじゃ」
「しからば重ねて尋ね申す。貴僧は松江におわした時、同家の山村武兵衛を打った覚えがござろうな」
 さすがに老僧の顔色は変った。が、言葉はなお神妙であった。
「なかなか。して、其許《そこもと》は何人《なんびと》におわすのじゃ」
 老僧は、かなり急《せ》き込んだ。
 惟念は、努めて微笑さえ浮べながらいった。
「愚僧は、今申した山村武兵衛の倅、同苗武太郎と申したものじゃ。御身を敵と付け狙って、日本国中を遍歴いたすこと十余年に及んだが、武運拙くして会わざること是非なしと諦め、かような姿になり申したのじゃ」
 老僧は老眼をしばたたいた。
「近頃神妙に存ずる。愚僧は、今申した通りの者じゃ。御自分の父を打って松江表を立ち退き、その後諸国にて身上を稼ぎ申したが、人を殺した報《むく》いは覿面《てきめん》じゃ。いずこにても有付《ありつ》く方《かた》なく、是非なく出家いたしたのじゃ。ここで御身に巡り合うのは、天運の定まるところじゃ。僧形なれども子細はござらぬ。存分にお討ちなされい」
 老僧の言葉は晴々しかった。
 惟念は淋しい微笑を浮べた。
「討つ討たるるは在俗の折のことじゃ。互いに出家|沙門《しゃもん》の身になって、今更なんの意趣が残り申そうぞ。ただ御身に隔意なきようにと、かくは打ち明け申したのじゃ。敵を討つ所存は毛頭ござらぬわ」
 老僧は折り返していった。
「いやいや、さようではござらぬぞ。ここは、御自分よくよく覚悟あるべきところじゃ。われらは、身上の有付きなきための、是非なき出家じゃ。御自分は違う。われらを討ち申されて帰参なさるれば、本領安堵は疑いないところじゃ。その上、我らを許して安居《あんご》を続けられようとも、現在親の敵を眼前に置いては、所詮は悟道の妨げじゃ。妄執の源じゃ。心事の了畢《りょうひつ》などは思いも及ばぬことじゃ。在俗の折ならば、なかなか討たれ申すわれらではないが、かようの姿なれ
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