いう時のために、一命を捨てて、将軍家へ御奉公するためではなかったのか。こんな時に一命を捨てなければ、我々は先祖以来、禄盗人であったということになるではないか」
そういって、大きな目を刮《む》いて、一座を睨《ね》め回した。
「左様、左様!」
「ごもっとも」
「御同感!」
座中、ところどころから声がかかった。
「左様では、ござりましょうが……」
軽輩ではあったが、大坂にいて京洛の事情に通じているために、特に列席を許された藤沢恒太郎が、やや下手《しもて》の座から、口を切った。
「すでに、有栖川宮が錦旗を奉じて、東海道をお下りになっているという確報も参っております。王政復古は、天下の大勢でござります。将軍家におかれても、朝廷へ御帰順の思し召しがあるという噂もござりまする。この際、将軍家の御意向も確かめないで、官軍である土佐兵と戦いますのはいかがなものでござりましょうか」
「将軍家に、帰順の思し召しあるなどと、奇怪なことを申されるなよ。鳥羽伏見には敗れたが、あれはいわば不意に仕掛けられた戦いじゃ、将軍家が江戸へ御帰城の上、改めて天下の兵を募られたら、薩長土など一溜りもあるものではない。もし、今土佐兵に一矢を報いず、降参などして、もし再び徳川家お盛んの世とならば、わが高松藩は、お取り潰しになるほかはないではないか。それよりも、われわれが身命を賭して土佐兵を撃ち退け、徳川家長久の基《もとい》を成せば、お家繁盛のためにもなり、御先祖以来の御鴻恩《ごこうおん》に報いることにもなるではないか。土佐兵の恐い臆病者どもは、城に籠って震えているがよい。この頼母は、真っ先かけて一戦を試みるつもりじゃ。帰順、降参などとは思いも寄らぬことじゃ」頼母は恒太郎を、仇敵のように睨み据えながら、怒鳴りつけた。
「御道理!」
「まさに、お説の通り!」
「ごもっとも千万」などと、さわがしい賛意の言葉が、藩士の口から洩れた。
恒太郎は、成田の怒声にも屈することなく、温《おだや》かな平生通りの声で、
「成田殿のお言葉ではござりまするが、徳川御宗家におかせられましても、いまだかつて錦旗に対しお手向いしたことは一度もござりませぬ。まして、御本家水戸殿においては、義公様以来、夙《つと》に尊王のお志深く、烈公様にも、いろいろ王事に尽されもしたことは、世間周知のことでござります。しかるに、水戸殿とは同系同枝とも申す
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