ているが、熟睡しているのであろう。気づかない様子である。
「この部屋!」廊下を十間ばかり歩いた時、新一郎は振り返って、そっとささやいた。
障子がさっと開かれた。そのとたん、
「何奴じゃ」もう十分用意し切った声が、先手三人の胸を衝くように響いた。
頼母は、すでに怪しい物音に気がつくと、手早く寝間着の上に帯を締め、佩刀《はいとう》を引き寄せていたのである。
「天朝のために、命を貰いに来た!」吉川が低いが力強い声で叫んだ。
「推参《すいさん》! 何奴じゃ、名を名乗れ!」頼母は、立ち上がると、刀を抜いて鞘を後へ投げて、足で行灯を蹴った。
が、行灯が消えると同時に、山田が持っていた龕灯《がんどう》の光が室内を照した。
小泉は、広い庭に面した雨戸を、ガラリガラリと開けた。進退の便に備えるためである。
龕灯に照し出された頼母は、寝床のそばから、飛び返って、床柱を後に当てて、二尺に足らぬ刀を正眼に構えていた。老人ながら、颯爽たる態度である。
「おう!」吉川が斬り込んだが、老人はさっと身を屈《こご》めて、低い鴨居のある違い棚の方へ身を引いた。勢い込んで斬りつけた吉川の長刀が、その鴨居に斬り込んだので、あわてながら刀を抜こうとする隙を、老人は身を躍らして、吉川の左肩へ、薄手ながら一太刀見舞った。
さすがに、小太刀組打を主眼とする竹内流の上手である。
吉川が斬られたのを見て、幸田が素早く斬り込んだが、老人は床柱の陰に入って、それを小楯に取りながら、小太刀を片手正眼に構えている。
邸内が、ざわめき出した。手間取っては、大事である。主謀である小泉はあせった。
「天野氏! 天野氏!」彼は思わず新一郎の名を呼んでしまった。新一郎が、自分の名を呼ばれてはっと驚いた以上に、老人が驚いた。
「新一郎か、新一郎か!」老人は、狂気のように目を据えて、覆面の新一郎を睨んだ。
新一郎は、熱湯を呑む思いであった。
先刻からも、頼母の必死の形相に、見るに堪えない思いをしながら、際あらばと、太刀を構えていたのであるが、相手にそれと知られては、いよいよ思い乱れて、手練の太刀先さえ、かすかに震えてくるのであった。
「天野氏、拙者が代る!」いら立った山田が、新一郎を押しのけようとする。こうなっては、新一郎も絶体絶命の場合である。
「助太刀無用、拙者がやる!」新一郎は、そういって、山田を押しのけると、「
前へ
次へ
全19ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング