クスを理解していたことなどを感心していたから、社会科学の方面についての読書などもいい加減なプロ文学者などよりも、もっと深いところまで進んでいたように思う。芥川が、ときどき洩した口吻などによると、Social unrest に対する不安も、いくらか「ボンヤリした不安」の中には入っているようにさえ自分は思う。
 彼は、自分の周囲に一つの垣を張り廻していて、嫌な人間は決してその垣から中へは、入れなかった。しかし、彼が信頼し何らかの美点を認める人間には、かなり親切であった。そして、よく面倒を見てやった。また、一度接近した人間は、いろいろ迷惑をかけられながらも、容易には突き放さなかった。
 皮肉で聡明ではあったが、実生活にはモラリストであり、親切であった。彼が、もっと悪人であってくれたら、あんな下らないことにこだわらないで、はればれと生きて行っただろうと思う。
「週刊朝日」に出た芥川家の女中の筆記によると、彼は死ぬ少し前、カンシャクを起して花瓶を壊したという。それはウソかほんとうか知らないが、もっと平生花瓶を壊していたらあんなことにはならなかったと思う。あまりに、都会人らしい品のよい辛抱をつづけすぎたと思う。
 芥川が、「文藝春秋」に尽してくれた好意は感謝のほかはない。その好意に報いるため、また永久にこの人を記念したいから、「侏儒の言葉」欄は、死後も本誌のつづく限り、存続させたいと思う。未発表の断簡零墨もあるようだし、書簡などもあるから、当分は材料に窮しないし、材料がなくなれば彼に関するあらゆる文章をのせてもいいと思う。芥川にもっとも接近していた小穴隆一君に、編集を托するつもりだ。大町桂月氏を記念するために、「桂月」という雑誌さえあるのだから、本誌一、二頁の「侏儒の言葉欄」を設けるのは、適宜なことだと思う。
 なお、ちょっと付言しておくが、彼の最近の文章の一節に「何人をも許し、何人よりも許されんことを望む」という一節があった。文壇人およびその他の人で故人に多少とも隔意の人があったならば、故人のこの気持ちを掬んで、この際釈然としてもらいたいと思う。



底本:『「文藝春秋」にみる昭和史 第一巻』文藝春秋
   1988(昭和63)年1月10日初版発行
底本の親本:「文藝春秋」昭和2年9月号
入力:山田豊
校正:二宮知美
2001年1月18日公開
青空文庫作成ファイル:
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