いだろう。しかし真物《ほんもの》のマッシバン博士はちゃんとあるんだよ。何ならお目に掛けてもいいよ。どうだい、一緒に俺の自動車で帰らないかい?」
と、いいながら指を咥《くわ》えてぴゅーと一声口笛を吹いた。
 その勿体ぶったマッシバン博士の格構《かっこう》と、きびきびしたルパンの言葉使いとはまるっきり吊り合わなくて実におかしかった。ボートルレは思わず吹き出してしまった。
「ああ笑った!笑った。」とルパンは大喜びしながら叫んだ。「君のその笑い顔は実に可愛いよ。君はもっと笑わなくちゃあいかん。」
 その時自動車の音が近くで聞えてきた。大形の自動車が着いた。ルパンはその扉を開いた。ふと中を見たボートルレはあっと叫んだ。中に一人の男が横たわっている。その男すなわちルパン、否本当のマッシバン博士、少年は笑い出した。
「静かに静かに、よく眠っているからね。博士がここへ来る途中をちょっと捕《とら》えて、ちくりと一本眠り薬を注射したのさ。さ、ここに博士を寝かせておいてあげよう。」
 二人のマッシバン博士が顔を合わせているところは実におかしかった。一人は頭をだらりと下げてだらしなく眠っているのに、一人は大真面目な顔をしながら、馬鹿叮嚀におじぎをしている。
 二人は博士をその叢に寝かせて自動車に乗った。自動車は全速力で走り出した。
「君、もう好い加減に手を引いたらどうだい、そういったところで君は止めはしないだろう。しかし君があのエイギュイユの秘密を探し出すまでには、まだまだ幾年掛るか分らない、俺だって十日掛ったよ。このアルセーヌ・ルパンだってさ。君なら十年はきっと掛るね。俺と君とはそれだけ違いがあるのさ。」

        五 奇巌城
            三角形をなす都会

「俺だって十日は掛ったよ。」
 自動車の中でルパンのいったこの言葉を、ボートルレは聞き洩《もら》さなかった。ルパンが十日掛ったのなら、ボートルレにもきっと十日で出来ないことはない。いかにルパンだって自分とそんなに違う理由《わけ》がない。もともとこの事件の起りは、あの紙片《かみきれ》をルパンが落したからではないか、ルパンだってそんな大きな過ちをしているのだもの。ボートルレはヴェリンヌ男爵邸で読んだだけの本と、覚えている暗号とを頼りに一生懸命考え始めた。毎日部屋に閉じ籠《こも》って、それより他のことは考えなかった。きっと十日で考えてみせよう。
 しかし十日もすぎ、十一日十二日もすぎてしまった。が十三日目に、少年の頭にさっとある考えが浮んだ。きっとこれはルパンも考えついたことに違いない。それはエイギュイユ・クリューズの秘密が、仏蘭西《フランス》国家に代々伝わった秘密である以上、何かこの秘密をめぐって、一筋の繋がった事件が歴史に表われてはいないだろうか。
 少年は一生懸命歴史を調べ始めた。しかし歴史は種々《いろいろ》で、なかなかそれを調べて一筋の繋がりを探し出すことは難しい仕事であった。しかしボートルレが熱心に調べたところ、種々《いろいろ》の事件の中に一つの繋がりがあることを見出した。
 それはすべての事件が、ルーアン、ドイエップ、ルアーブル……この三つの都会に何かの繋がりがあることである。
 大昔、エイギュイユの秘密を知っていた人々はみんなこの三つの都のうちの、どれかの王であったり、またはそこで殺されたり、そこで戦争をしたりしているのである。そしてルイ十四世の時、あの本を火の中から盗み出して秘密を知り、宝物《ほうもつ》を盗み出していた大尉が、ポケットに立派なダイヤモンドを入れたまま、道の真中に死体となって現われたその場所もまた、ルーアンから、ドイエップから、ルアーブルから、この三つの都会からパリへ行く道なのである。
 ルーアン……ドイエップ……ルアーブル……は三角形をなしている。すべてはそこにある。
 一つは海、一つはセーヌ河、一つはルーアンからドイエップへ通じている一つの大きな谷。
 その時また、少年の頭に一つの光が流れた。それはこの三角形の場所こそ、巨人ルパンがいつも活動する場所だということである。この十年ばかりの間、世間の人たちを驚かせながら活動した場所はいつもここであった。
 しかも今度の事件は?、ジェーブル伯爵のあの僧院のある場所は、やはりルアーブルからドイエップへ通う道にある。きっとルパンは十年ばかり前にエイギュイユの秘密を探り出して、その宝物《ほうもつ》の隠してある場所を知ったに違いない。ルパンの力はそれだからこそ大きかったのに違いなかった。
 少年は意気揚々とパリを出発した。少年は三角形の中のすべてを片っぱしから調べ始めた。
 少年はある朝村の小さな飯屋で、馬方のような男がじろじろと自分を見ているのに気がついた。ボートルレは変な奴だと思ってその飯屋を出ようとすると
前へ 次へ
全32ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング