間へ駆け込むと同時に、敷居際に釘づけにされたようにぴたりと立ち止《どま》った。シュザンヌもやっと駆けつけてきた。すぐ目の前に、懐中電灯を持った一人の男が突立《つった》っていた。その男はさっと眼のくらむような強い電灯の光を二人の少女に浴《あび》せかけて、長い間彼女たちの蒼白い顔を眺めていたが、実に悠々と落《おち》つき払って、帽子をかぶり、紙切《かみきれ》と二本の藁くずとを拾い、絨緞《じゅうたん》の上についた足跡を消して露台に近づき、再び少女たちの方を振り向いて丁寧に頭を下げ、つとそのまま姿を消した。
真先《まっさき》にシュザンヌは父の寝ている客間につづいた小さな書斎へ走った。しかしそこへ入るか入らないうちに恐ろしい光景が、眼の前に現われた。斜めに差している月の光に照らされて、二人の男が並んで倒れている。彼女は一方の死骸に取り縋って、
「お父様!……お父様……、どうなすったのお父様!……」と声を限りに叫んだ。
ようやくするとジェーブル伯爵は少し身体《からだ》を動かした。そして途切れ途切れの声で、
「心配するな……俺は怪我はせぬ……だがドバルは?ドバルは生きているか? 短剣は?……短剣は?……」
遺留品は皮帽子一個
この時二人の下男が手燭《てあかり》を持って駆けつけた。レイモンドがも一人の倒れている男を見ると、それは伯爵の信用していた家令《かれい》のジャン・ドバルであった。顔は蒼ざめてもう息が絶えているようであった。レイモンドはつと立ち上って客間へ戻り、壁に掛けてあった一挺の小銃を取るより早く露台へ走った。曲者が梯子に片足を掛けてから、まだたしかに五六十秒しか経っていない、曲者はまだ遠くへ行かないはずである。果《はた》して彼女は古い僧院の裾を廻って逃げる曲者の影を認めた。レイモンドは小銃を肩に当て、静かに的を定めてどんと一発放った。曲者は倒れた。
「占めた!もうあいつは捕まえたぞ、私が降りてまいりましょう。」と下男の一人が勇み立った。
「あれ、ビクトール、また起き上ったよ。……お前はすぐ壁の小門へ駆けておいで、あの小門より他に逃げ道はないんだから。」
ビクトールは急いで駆けていったが、彼がまだ庭へ出ないうちに曲者は再び倒れた。レイモンドはも一人の下男に見張りをしているようにいいつけて、自分は再び銃を取り上げて、下男の留めるのも構わずそのまま出ていった。アルベールという見張りをしていた下男は、レイモンドが僧院の本院について曲がるのを見た。そしてまもなくその姿が見えなくなった。五六分経っても彼女の姿が見えないのでアルベールは心配し出した。彼は曲者が倒れたところから目を放たぬようにしながら、梯子を伝って降りていった。そして大急ぎで曲者が最後に姿を見せた場所へ走った。彼はそこでちょうどビクトールを連れて曲者を探しているレイモンドと行き逢った。
「どうしました?」
「とても泥棒を捕まえることが出来ない。」とビクトールが答えた。「俺はちゃんと小門を閉めて鍵を掛けてしまったんだがなあ。」
「他に逃げ道はないのにおかしいなあ。」
「ええ、本当にそうよ。十分も経てばきっと泥棒を捕まえてよ。」とレイモンドもいった。
「この僧院から逃げ出せるはずはないんだから、きっとどこかの穴の隅っこに隠れているに相違ない。」とアルベールがいった。
小銃の声を聞いて農夫の親子が駆けつけた。その農夫たちの家もやはり土塀の中にあったが、彼らも何人《なんびと》の姿も見なかった。それからみんなは叢という叢を掻き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]したり、円柱にからみついている蔓草を引き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》った。礼拝堂《らいはいどう》の扉も調べたがみんな錠が掛《かか》っており、一枚の窓硝子も壊れていなかった。僧院の隅から隅までとり調べたが、猫の子一|疋《ぴき》も出なかった。けれどもただ一つ見つけたものがあった、レイモンドに撃たれて曲者が倒れた場所で、自動車の運転手がかぶるたいへん柔《やわら》かな皮帽子を拾った。その他には何一つ無かった。
翌朝《よくちょう》六時に近所の警察署の警部が駆けつけてきてとり調べた。警部は早速本署へ宛て、犯人の皮帽子と短劒《たんけん》一|振《ふり》を発見したから、至急強盗[#「強盗」は底本では「盗強」]首領は捕まえる必要があると報告した。
十時には検事と、判事と判事の書記と三人を乗せた馬車と、ルーアン新聞の若い記者とある新聞の青年記者を乗せた馬車と、都合二台の馬車がこの邸《やしき》へ着いた。
この邸は昔アンブルメディの僧侶が住んでいた所であって、仏蘭西《フランス》大革命の戦争の時ひどく破壊されたのを、ジェーブル伯爵が買って手入《ていれ》をしてから二十年も経っている。建物は時
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