くわしく調べた。調べる時二名の新聞記者も、農夫親子も、邸内《ていない》[#「邸内」は底本では「庭内」]の人々もその場にい合わせた。判事たちを乗せてきた馭者たちも来ていた。犯人はどうしても邸内から外へ逃げ出すわけはないということになった。その時判事はストーブの上にあった皮帽子をとり上げて、これを調べていたが、警部を呼んで小声で、
「おい、警部、君の部下をすぐバール町のメイグレ帽子店にやって調べさせてくれたまえ、この帽子を買った人間を覚えているだろうから。」
馭者の残した強迫状
踏みにじられた草の中に賊の通った跡が判然と分った。黒ずんだ血の塊が二個所ばかりで発見せられた。円柱の角を曲がるとそこは僧院の奥の方で、何事もないらしく、杉葉の散った土の上には身を引きずったような跡もなかった。そんなら傷ついた曲者はどうして令嬢やアルベールやヴィクトールの眼から逃れ去ったのだろうか?巡査や下男たちが藪《やぶ》を分けて探したり、五つ六つある墓石の下を探ったりしたがやっぱり何事もなかった。
判事は鍵を預《あずか》っている庭番に命じて礼拝堂の扉を開けさせた。その礼拝堂というのは昔から崇められたものでそこにある立派な彫刻の人物などは宝物《ほうもつ》であった。しかしその礼拝堂の中には別に隠れ家もなく、またここへ入るならばどんな方法で入るか?
それから例の小門を調べたが、判事はそこで自動車のタイヤの跡がまざまざと残っているのを見た。
「ははあ、負傷した曲者はここで仲間の者と一緒になって逃げたんだな。」
「それや出来ません。」とヴィクトールが叫んだ。
「私が見張りしているのに逃げられるはずはないのです。たしかに曲者はここにいます。」と下男は頑張っている。
判事は暗い顔をして邸へ引き返した。たしかに事件は面白くない、強盗が入って何も盗まれていない。犯人はたしかに内にいて、それが行方不明になっている。
そのうちに帽子屋へやられた巡査が帰ってきた。
「どうだい、帽子屋に逢ってきたかい?」と判事は待ちかねて叫んだ。
「はい、私は主人に逢いましたが、この帽子は馭者に売ったそうです。」
「馭者に?」
「はあ、何でも一人の馭者が店先に馬車を止めて、御客様が入用だから、自動車運転手用の黄色い皮帽子をくれといって、ちょうどこれが一個あったのでそれを差し出すと、馭者は大きさも調べずに、買いとって出ていったそうです。」
「それは何日だい?」
「何日?何日って今日です、今朝の八時です。」
「今朝?君は何をいっているのか?」
「この帽子は今朝売れたのです。」
「しかしこの帽子は今朝この邸園で発見されたんじゃないか。してみれば、それはとにかくその前に買われていなければならん。」
「しかし帽子屋ではたしかに今朝といっていました。」
判事は驚いて[#「驚いて」は底本では「驚いた」]しきりに考えていたがふと飛び上って叫んだ。
「馭者だ!今朝我々を乗せてきた馭者を押《おさ》えてこい。早くとり押えてこい!」
しかしその馭者はもういなかった。口実をつけて自転車を借りて逃げてしまったあとだった。警部はそのことを判事に報告してから、
「これがあいつの帽子と外套です。」
「帽子をかぶらずに出掛けたのか。」
「懐中《ふところ》から黄色い皮の帽子を出して被っていったそうです。」
「黄色い皮の帽子?そんなことがあるもんか、それは現にここにあるじゃないか。」
検事が傍《かたわら》から薄笑いをしながら、
「実に面白い、帽子が二個ある……一個は我々の唯一の証拠であった真物《ほんもの》で、馭者の頭に乗って飛んでいった他の一個は偽物で、それが君の手にある。やあ!こいつは一杯喰わされたね。」
「馭者を捕まえろ!」と判事は呶鳴《どな》った。
「しかしその前に判事さん、もっと気をつけなければならないことがありますよ。まあこの紙切を読んで下さい。これは外套のポケットから出たものです。」
「外套というのは?」
「馭者の残していったものです。」
といいながら検事は四つ折にした紙を判事の前に出した。その紙切には鉛筆の走り書きがしてあった。
「もし首領《かしら》が死んだら、令嬢に仇《あだ》をするぞ。」
怪青年記者
この事件に一同は蒼くなった。
「伯爵」と判事は口を開いて「伯爵決して御心配なさらないで下さい。こんな脅迫《おどかし》があったって我々警察の方で十分警戒しているのですから、令嬢方も決して御心配は入りません。大丈夫です。それから今度は諸君《みなさん》のことですがね。」と判事は新聞記者に向って、「私は諸君《みなさん》方を信用して、この場に諸君《みなさん》たちがおられるのを黙っているのですが……」判事は何か思いついたらしくそのまま言葉を切ってしまって、二人の
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