かに日を暮す考えなのだ。」
ルパンはそういって、赤色の白墨で壁に大きく字を書き始めた。
「アルセーヌ・ルパンは、エイギュイユ・クリューズの中の宝物《ほうもつ》を、全部|仏蘭西《フランス》国家に贈る。」
壮烈な肉迫戦
「ああ、これで我輩は安心した。」
この時扉の板が破れて、にゅーっと一本の腕が出て、鍵を開けようとする。
「畜生!喧しい、も少し静かにしろ。ところでボートルレ君にもお暇乞《いとまごい》をしよう。君はなかなか偉い、とうとうここまで発見したんだからね……」
ルパンはそういいながら油絵の右の端《はし》を開くと、小さな戸が現われた。ルパンはその握りを押えながら、
「御苦労々々々ガニマール君、お忙しいところを御苦労!」
どん!と銃声が響いた。ルパンはすぐ身を引いて、
「あははは、大《おお》べら棒!」
「御用だ!ルパン、神妙にしろ!」
扉はぐらぐらと揺れている。ルパンはガニマールの扉の方にいるので撃つことが出来ない。ガニマールは呶鳴った。
「ボートルレ君、加勢だ!構わん、撃て!」
ボートルレはどうすればいいか分らなかった。しかし今となっては撃たなければならないのだろう。少年はピストルをとり上げた。その時いきなりルパンは駆けてきて、少年の身体を軽々と持ち上げた。そして少年の身体を楯にしてその後《うしろ》に自分の身を隠した。
「ほら、こうして逃げますよ。ルパンはいつもちゃんと逃げ道があるんだ、はいさようなら……」
ルパンは素早く少年の身体を抱えたまま、油絵の陰に入って戸を閉めた。恐ろしく急な坂が眼の前にある。ルパンはボートルレを前に押しやるようにしながら、その坂を駆け降り始めた。
「さあ、陸の方は打ち破った。急いで逃げるんだ逃げるんだ……」
二人はまるで転がるように坂を駆け下りていく。二人は降りた。降りた。途中でルパンは立ち止まって、岩の裂目から海を覗き、
「ははあ、水雷艇の御出張、わざわざ恐れ入るね、ほう駆け出した。なかなか速いぞ。」
二人が坂を降りると、下で人声がした。
潜航艇で海底を逃走
一箇の人影が飛び出してきた。
「早く、早く、私、ずいぶん心配しましたわ。何していらっしたの?」
「何大丈夫だよ、船は用意したかい?」
「はい、用意してあります。」と部下が答えた。
「じゃあ、出発だ。」
そこへまもなく船の来る音がした。ボートルレがよく暗《やみ》をすかして見ると、そこはちょうど船着場のようになっている。三人は乗り込んだ。
「よし、出発だ!」とルパンは部下へ合図した。船はすっかり蓋が閉じられた。それは海の底を走る潜航艇である。
艇は海の底を辷《すべ》るように走る。海草がゆらゆらと動く、長い黒い影がさっと通った。
「あれは水雷艇だ、大砲の音が聞えるぜ。」
船は矢のように走る。おおかたの魚《うお》は驚いて逃げてしまうが、中には傍へ寄ってきて、硝子のところからぎょろりとした眼玉で覗く奴もある。
「やあ、こいつは面白いや、まるで海底見物だ!」
魔の黒雲
艇はもう大丈夫だと思って上へのぼり始めた。そしてドイエップから少し離れた一つの小さな湾へ来てから、静かに浮び上った。
「ルパン湾!」とルパンが叫んだ。
ルパンは少年とレイモンドを助けながら上陸させ、部下にはエイギュイユ城へ様子を見にやった。ルパンはいった。
「ボートルレ君、我輩はここで農園を開いて、妻と母と共に、バルメラに成りすまして、平和な生活を送ろうと思うのです。紳士強盗はもはや死んだ。紳士百姓として生きるんだ。」
ルパンには始終つきそっているヴィクトワールという乳母があった。ルパンはその乳母をいつも母と呼んでいたのであった。
一人の男が向うから来て、叮嚀におじぎをしながら、怪しい英国人がこの町をうろついていたと告げた。
「ショルムスじゃないかな、もしそうだとすると、少し危いぞ、先生まだ怒っている最中だから。」
少し歩いていくと向うに建物が見え始めた。ルパンがこれから平和な生活を送ろうとする家であろう。その時一人の女が息を切って駆けてくる。
「あら、何か起ったのよ。」とレイモンドが叫んだ。
「何だ、何か起ったのか。」
「男が、今朝の英国の男が来て、……あなたのお母様を……」
その時あれ!という声がした。レイモンドは苦しげに声を絞って、
「あら!お母様よ……」
血の雨、血の涙
ルパンはふとレイモンドに飛び掛るようにして引き立てながら、
「おいで、逃げよう……お前真先に……」
が、ルパンはすぐ立ち止まった。
「いや、そうは出来ぬ、ちょっと待ってくれ。母が可哀想だ。レイモンド、ここにいてくれ。ボートルレ君、あとを頼む。」
一人の男が先頭で
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