も実力比敵し、いずれが勝つか分らず、かかる場合は却って第三人気の大穴を狙うにしかず。

一、大穴は、おあつらえ通りには、開かないものである。天の一方に、突如として開き、ファンをあっけに取らせるものである。何々が、穴になるだろうと、多くのファンが考えている間は、絶対にならないようなものである。それは、もう穴人気と云って、人気の一種である。

一、剣を取りて立ちしが如く、常に頭を自由に保ち固定観念に囚わるること勿《なか》れ、偏愛の馬を作ること勿れ。レコードに囚わるること勿れ、融通無碍しかも確固たる信念を失うこと勿れ。馬券の奥堂に参ずるは、なお剣、棋の秘奥《ひおう》を修めんとするが如く至難である。

一、一日に、一鞍か二鞍堅い所を取り、他は悉《ことごと》く休む人あり、小乗なれども亦一つの悟道たるを失わず。大損をせざる唯一の方法である。

一、損を怖れ、本命々々と買う人あり、しかし損がそれ程恐しいなら、馬券などやらざるに如かず。

一、一日に四、五十円の損になりても、よき鑑定をなし、百四、五十円の中穴を一つ当てたる快味あれば、償うべし。

一、百二、三十円の穴にても、手柄の上では二百円に当るものあり、二百円の配当にても、手柄の上ではくだらぬものあり、新馬の二百円をまぐれ当りに取りたるなど、ただ金を拾ったのと、あまり違わない。

一、よき鑑定の結果たる配当は、額の多少に拘わらず、その得意は大なり。まぐれ当りの配当は、たとい二百円なりとも、投機的にして、正道なる馬券ファンの手柄にすべきものにあらず。

一、人にきいて取りたる二百円は、自分の鑑定に取りたる五十円にも劣るべし(と云うように考えて貰いたいものである。)

一、サラブレッドとは、如何なるものかも知らずに馬券をやる人あり、悲しむべし。馬の血統、記録などを、ちっとも研究せずに、馬券をやるのはばくち打である。

一、同期開催済の各競馬の成績を丹念に調べよ。そのお蔭で大穴を一つ二つは取れるものである。

一、必ず着《ちゃく》に来るべき剛強馬二、三頭あるとき、決してプラッセの穴を狙うなかれ。たとい適中するとも配当甚だ少し。

一、プラッセの配当の多寡は、多くは他の人気馬の入線如何による。その点に於て、より偶然的である。むしろ単勝の大穴を狙うに如かず。

一、厩舎《うまや》よりの情報は、船頭の天気予報の如し。関係せる馬についての予
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