三度低い天井をかすって、しばしば太刀を操る自由を失おうとした。市九郎はそこへ付け入った。主人は、その不利に気がつくと、自由な戸外へ出ようとして、二、三歩|後退《あとずさ》りして縁の外へ出た。その隙に市九郎が、なおも付け入ろうとするのを、主人は「えい」と、苛だって切り下した。が、苛だったあまりその太刀は、縁側と、座敷との間に垂れ下っている鴨居に、不覚にも二、三寸切り込まれた。
「しまった」と、三郎兵衛が太刀を引こうとする隙に、市九郎は踏み込んで、主人の脇腹を思うさま横に薙《な》いだのであった。
 敵手《あいて》が倒れてしまった瞬間に、市九郎は我にかえった。今まで興奮して朦朧としていた意識が、ようやく落着くと、彼は、自分が主殺しの大罪を犯したことに気がついて、後悔と恐怖とのために、そこにへたばってしまった。
 夜は初更を過ぎていた。母屋《おもや》と、仲間部屋とは、遠く隔っているので、主従の恐ろしい格闘は、母屋に住んでいる女中以外、まだだれにも知られなかったらしい。その女中たちは、この激しい格闘に気を失い、一間のうちに集って、ただ身を震わせているだけであった。
 市九郎は、深い悔恨にとらわれていた。一個の蕩児であり、無頼の若武士ではあったけれども、まだ悪事と名の付くことは、何もしていなかった。まして八逆の第一なる主殺しの大罪を犯そうとは、彼の思いも付かぬことだった。彼は、血の付いた脇差を取り直した。主人の妾と慇懃を通じて、そのために成敗を受けようとした時、かえってその主人を殺すということは、どう考えても、彼にいいところはなかった。彼は、まだびくびくと動いている主人の死体を尻眼にかけながら、静かに自殺の覚悟を固めていた。するとその時、次の間から、今までの大きい圧迫から逃れ出たような声がした。
「ほんとにまあ、どうなることかと思って心配したわ。お前がまっ二つにやられた後は、私の番じゃあるまいかと、さっきから、屏風《びょうぶ》の後で息を凝らして見ていたのさ。が、ほんとうにいい塩梅《あんばい》だったね。こうなっちゃ、一|刻《とき》も猶予はしていられないから、有り金をさらって逃げるとしよう。まだ仲間たちは気がついていないようだから、逃げるなら今のうちさ。乳母や女中などは、台所の方でがたがた震えているらしいから、私が行って、じたばた騒がないようにいってこようよ。さあ! お前は有り金を
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