のお使いの者じゃけに、私のいうことは皆神さんのおっしゃることじゃ。
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義太郎 (不満な顔をして)金比羅の神さんいうて、お前会うたことがあるけ?
巫女 (にらんで)何を失礼なことをいうのじゃ、神様のお姿が目に見えるもんか。
義太郎 (得意そうに)俺は何遍も会うとるわい。金比羅さんは白い着物を着て金の冠を被っとるおじいさんや。俺といちばん仲のええ人や。
巫女 (上手に出られたのでやや狼狽しながら、義助の方を見て)これは狐憑きもひどい狐憑きじゃ。どれ私が神に伺ってみる。
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(巫女呪文を唱え奇怪の身振りをする。義太郎はその間、吉治に肩口を捕えられながら、けろりとして相関せざるもののごとし。巫女は狂乱のごとく狂い回りたる後、昏倒する。ふたたび立ち上った彼女は、きょろきょろとして周囲を見回す)
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巫女 (以前とはまったく違った声音で)我は当国|象頭山《しょうずざん》に鎮座する金比羅大権現なるぞ。
皆 (義太郎を除いて皆腰を屈めて)へへっ。
巫女 (荘厳に)この家の長男には鷹の城山の狐が憑いている。木の枝に吊しておいて青松葉で燻《くす》べてやれ。わしの申すこと違《たが》うにおいては神罰立ち所に至るぞ。(巫女ふたたび昏倒する)
皆 へへっ。
巫女 (再び立ち上りながら空とぼけたように)なんぞ神さまがおっしゃりましたか。
義助 どうもあらたかなことでござんした。
巫女 神様のおっしゃったことは、早速なさらんとかえってお罰が当りますけに、念のために申しておきますぞ。
義助 (やや当惑して)吉治! それなら青松葉を切って来んかな。
およし なんぼ神さんのおっしゃることじゃいうて、そななむごいことができるもんかいな。
巫女 燻《くす》べられて苦しむのは憑いとる狐や。本人はなんの苦痛もござんせんな。さあ早く用意なさい。(義太郎の方を向いて)神様のお声をきいたか。苦しまぬ前に立ち去るがええぞ。
義太郎 金比羅さんの声はあなな声ではないわい。お前のような女子《おなご》を、神さんが相手にするもんけ。
巫女 (自尊心を傷つけられて)今に苦しめてやるから待っておれ。土狐の分際で神様に悪口を申しおるにくいやつじゃ。
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(吉治、青松葉を一抱え持って来る。およし、おろおろしている)
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巫女 神さんの仰せは大切に思わぬと罰が当りますぞ。
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(義助、吉治を相手に不承不承に松葉に火をつけ、厭がる義太郎をその煙の近くへ拉《らっ》して行く)
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義太郎 お父《と》う何するんや、厭やあ、厭やあ。
巫女 それをその方の声じゃと思うと燻《くす》べにくい、皆狐の声じゃと思わないかん。そのお方を苦しめている狐を、苦しめると思うてやらないきません。
およし なんぼなんでもむごいことやな。
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(義助、吉治と協力して顔を煙の中へ突き入れる。その時、母屋の方で末次郎の声がきこえる)
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末次郎 (母屋の内部から)お父さん、おたあさん、帰って来ましたぜ。
義助 (ちょっと狼狽して、義太郎を放してやる)末が帰って来た。日曜でないのにどうしたんやろ。
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(末次郎、折戸から顔を出す。中学の制服を着た色の浅黒い凛々しい少年。異状な有様にすぐ気がつく)
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末次郎 どうしたんです、お父さん。
義助 (きまりわるそうに)ええ。
末次郎 どうしたんです、松葉なんか燻《くす》べて。
義太郎 (苦しそうに咳をしていたが、弟を見ると救い主を得たように)末か、お父や吉がよってたかって俺を松葉で燻《くす》べるんや。
末次郎 (ちょっと顔色を変えて)お父さん! またこんなばかなことをするんですか。私があれほどいうといたじゃござんせんか。
義助 そやけどもな、あらたかな巫女さんに神さんが乗り移ってな。
末次郎 何をばかなことを。兄さんが理屈がいえんかってそななばかなことをして。
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(巫女を尻目にかけながら燃えている松葉を蹴り散らす)
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巫女 お待ちなさい。その火は神様の仰せで点《つ》いとる火ですぞ。
末次郎 (冷笑しながら踏み消してしまう)……。
義助 (やや語気を変えて)末次郎! 私はな、ちっとも学問がないもんやけにな、学校でようできるお前のいうことはなんでもきいとるけんどな、なんぼなんでも、かりにも神さんの仰せで点《つ》けとる火やもの、足蹴にせんかってええやないか。
末次郎 松葉で燻《くす》べて何が治るもんですかい。狐を追い出すいうて、人がきいたら笑いますぜ。日本中の神さんが寄って来たとて、風邪一つ治るものじゃありません。こんな詐欺師のような巫女が、金ばかり取ろうと思って……。
義助 でもな、お医者さまでも治らんけんにな。
末次郎 お医者さんが治らんいうたら治りゃせん。それに私がなんべんもいうように、兄さんがこの病気で苦しんどるのなら、どななことをしても治してあげないかんけど、屋根へさえ上げといたら朝から晩まで喜びつづけに喜んどるんやもの。兄さんのように毎日喜んでいられる人が日本中に一人でもありますか。世界中にやってありゃせん。それに今兄さんを治してあげて正気の人になったとしたらどんなもんやろ。二十四にもなって何も知らんし、いろはのいの字も知らんし、ちっとも経験はなし、おまけに自分の片輪に気がつくし、日本中で恐らくいちばん不幸な人になりますぜ。それがお父さんの望みですか。なんでも正気にしたらええかと思って、苦しむために正気になるくらいばかなことはありません。(巫女を尻目にかけて)藤作さん、あなたが連れて来たのなら、一緒に帰って下さい。
巫女 (侮辱を非常に憤慨して)神のお告げをもったいなく取り扱うものには神罰立ち所じゃ。(呪文を唱えて以前のような身振りをなし一度昏倒した後立ち上る)我は金比羅大権現なるぞ、ただいま病人の弟の申せしこと皆己が利欲の心よりなり。兄の病気の回復するときは、この家の財産が皆兄の物となる故なり。夢疑うことなかれ。
末次郎 (奮然として巫女を突き倒し)何をぬかすんや、ばかっ!(二、三度蹴る)
巫女 (立ち上りながら急に元の様子になって)あいた! 何するんや、無茶なことするない。
末次郎 詐欺め、かたりめ!
藤作 (二人を隔てながら)まあ坊ちゃん、お待ちなさい。そう腹を立ていでも。
末次郎 (まだ興奮している)ばかなことぬかしやがって! 貴様のようなかたりに兄弟の情がわかるか。
藤作 さあ、一度引きとることにしましょう。俺があんたを連れて来たのが悪かったんや。
義助 (金を藤作に渡しながら)何分、まだ子供じゃけにどうぞ勘弁しておくれやす。あいつはどうも気が短うてな。
巫女 神さまが乗り移っている最中に私を足蹴にするような大それたやつは、今晩までの命も危ないぞ。
末次郎 何をぬかすんや。
およし (末次郎をささえながら)黙っておいでよ。(巫女に)どうもお気の毒しましたや。
巫女 (藤作と一緒に去りながら)私を蹴った足から腐り始めるのや。(二人去る)
義助 (末次郎を見て)お前あななことをして、罰が当ることはないか。
末次郎 あんなかたりの女子に神さんが乗り移るもんですか。無茶な嘘をぬかしやがる。
およし 私は初めから怪しいやつじゃ思うとったんや、神さんやったらあななむごいこというもんけ。
義助 (なんの主張もなしに)そら、そうやな。でもな末! お前、兄さん一生お前の厄介やぜ。
末次郎 何が厄介なもんですか。僕は成功したら、鷹の城山のてっぺんへ高い高い塔を拵《こさ》えて、そこへ兄さんを入れてあげるつもりや
義助 それはそうと、義太郎はどこへ行ったやろ。
吉治 (屋根の上を指しながら)あそこへ行っとられます。
義助 (微笑して)あいかわらずやっとるのう。
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(義太郎は前の騒動の間にいつの間にか屋根へ上っていたらしい。下の四人、義太郎を見て微笑を交う)
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末次郎 普通の人やったら、燻《くす》べられたらどなに怒るかも知れんけど、兄さんは忘れとる、兄さん!
義太郎 (狂人の心にも弟に対して特別の愛情があるごとく)末やあ! 金比羅さんにきいたら、あなな女子知らんいうとったぞ。
末次郎 (微笑して)そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや。(雲を放れて金色の夕日が屋根へ一面に射しかかる)ええ夕日やな。
義太郎 (金色の夕日の中に義太郎の顔はある輝きを持っている)末、見いや、向うの雲の中に金色の御殿が見えるやろ。ほらちょっと見い! 奇麗やなあ。
末次郎 (やや不狂人の悲哀を感ずるごとく)ああ見える。ええなあ。
義太郎 (歓喜の状態で)ほら! 御殿の中から、俺の大好きな笛の音がきこえて来るぜ! ええ音色やなあ。
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(父母は母屋の中にはいってしまって、狂せる兄は屋上に、賢き弟は地上に、共に金色の夕日を見つめている)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]――幕――
底本:「菊池寛 短篇と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:大野 晋
2000年2月8日公開
2005年10月17日修正
青空文庫作成ファイル:
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