短うてな。
巫女 神さまが乗り移っている最中に私を足蹴にするような大それたやつは、今晩までの命も危ないぞ。
末次郎 何をぬかすんや。
およし (末次郎をささえながら)黙っておいでよ。(巫女に)どうもお気の毒しましたや。
巫女 (藤作と一緒に去りながら)私を蹴った足から腐り始めるのや。(二人去る)
義助 (末次郎を見て)お前あななことをして、罰が当ることはないか。
末次郎 あんなかたりの女子に神さんが乗り移るもんですか。無茶な嘘をぬかしやがる。
およし 私は初めから怪しいやつじゃ思うとったんや、神さんやったらあななむごいこというもんけ。
義助 (なんの主張もなしに)そら、そうやな。でもな末! お前、兄さん一生お前の厄介やぜ。
末次郎 何が厄介なもんですか。僕は成功したら、鷹の城山のてっぺんへ高い高い塔を拵《こさ》えて、そこへ兄さんを入れてあげるつもりや
義助 それはそうと、義太郎はどこへ行ったやろ。
吉治 (屋根の上を指しながら)あそこへ行っとられます。
義助 (微笑して)あいかわらずやっとるのう。
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(義太郎は前の騒動の間にいつの間にか屋根へ上っていたらしい。下の四人、義太郎を見て微笑を交う)
[#ここで字下げ終わり]
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末次郎 普通の人やったら、燻《くす》べられたらどなに怒るかも知れんけど、兄さんは忘れとる、兄さん!
義太郎 (狂人の心にも弟に対して特別の愛情があるごとく)末やあ! 金比羅さんにきいたら、あなな女子知らんいうとったぞ。
末次郎 (微笑して)そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや。(雲を放れて金色の夕日が屋根へ一面に射しかかる)ええ夕日やな。
義太郎 (金色の夕日の中に義太郎の顔はある輝きを持っている)末、見いや、向うの雲の中に金色の御殿が見えるやろ。ほらちょっと見い! 奇麗やなあ。
末次郎 (やや不狂人の悲哀を感ずるごとく)ああ見える。ええなあ。
義太郎 (歓喜の状態で)ほら! 御殿の中から、俺の大好きな笛の音がきこえて来るぜ! ええ音色やなあ。
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(父母は母屋の中にはいってしまって、狂せる兄は屋上に、賢き弟は地上に、共に金色の夕日を見つめている)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]――幕――



底本:「菊池寛 短篇と戯曲」文芸春秋
   1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:大野 晋
2000年2月8日公開
2005年10月17日修正
青空文庫作成ファイル:
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