るほど、デリケイトの物ではないのかも知れない。
そんなことから、私は易よりも手相を信じている。ゼイチクなどを並べるのは、サイコロを振るのと同じく偶然が入りこんでいけない。そこへ行くと、手相は、その人についている。それなら、人相をもっと信じそうな訳だが、『週刊朝日』で僕を、ケチン坊だと観相した馬鹿な観相家があって以来、人相位馬鹿々々しいものはないと思っている。
底本:「日本の名随筆82 占」作品社
1989(平成元)年8月25日第1刷発行
1997(平成9)年5月20日第6刷発行
底本の親本:「菊池寛文学全集 第六巻」文藝春秋新社
1960(昭和35)年6月
入力:前野さん
校正:門田裕志
2002年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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