スコアンだよ。気を確かにしたまえ。すぐ担架をよこすからね」と中尉の耳近く叫んだ。すると中尉の朧《おぼろ》げな意識のうちに、ガスコアンという名が浮んだのであろう。彼はうわ言のように、
「ガスコアン君! 時は本当の審判者でないか」と囁《ささや》いた。これは本当にうわ言であったかも知れない。またそれはきき取れぬほどの低声であったが、ガスコアンはそれをきくと、忘れていた不快な感情が再びむらむらと帰ってくるのをおぼえた。大尉は、死際になってもまだ我執《がしゅう》を捨てない中尉を心から卑しみ、心から憎んだ。彼はつまらぬ暇つぶしをしたことを悔いて、そこを去ろうとした。
 が、見ると中尉は、いつの間にかまた昏睡におちている。もう死骸にほとんど異ならないゼラール中尉を見ていると、大尉は自分の感情がだんだん和《やわ》らいでいくのを知った。そして、おしまいには、国家の安危にも、自分の死際にも、呪われた意地につきまとわれているゼラール中尉を憫《あわれ》まずにはいられなかった。



底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
   1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:曽我部真弓
1999年4月23日公開
2005年10月11日修正
青空文庫作成ファイル:
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