一人だと云う気になってね。何でも、この役者を初めて見たのは、鎌倉三代記の三浦之介をしていた時だったが、私の傍《そば》に居る見物は、皆口々に悪口を云っていたのですよ。『上方役者はてんで型を知らねえ。あすこで、時姫の肩へ手をやるって法はねえ』とか『音羽《おとわ》屋(その頃は三代目菊五郎だったが)の三浦之介とはお月様と泥鼈《すっぽん》だ。第一顔の作り方一つ知らねえ』とかそれはそれはひどい悪口ばかり云っていました。が、私は型に適《かな》っているかどうかは、知らなかったが、染之助の三浦之介は、如何《いか》にも傷ついた若い勇士が、可愛い妻と、君への義理との板ばさみになっている、苦しい胸の中を、マザマザと舞台に現しているようで、遠い昔の勇士が私の兄か何かのように懐しく思われたのでした。それ以来、私は毎日のように守田座へ行きたくなったのです。それで浅草へお参りに行くと云っては、何も知らない頑是《がんぜ》のない綾ちゃん達のお母さんを、連れて守田座へ行ったものです。それも一日通しては見ていられないから、八つ刻《どき》から――そう今の二時頃ですが、染之助の出る一幕二幕かを見に行ったのです。終《しまい》には子供を召使いに預けて、自分一人で毎日のように出かけて行くようになりました。そうなって来ると、今までは何とも思わなかった自分の美しいと云う評判が、嬉《うれ》しく思われて来たのです。何だか容貌《きりょう》自慢のようですが」と、祖母は、一寸言葉を澱《よど》ませました。私はそう云う祖母の顔を見ながら、二十四五の女盛りの祖母を想像してみました。すると、私の眼の前の老女の姿は、忽《たちま》ちに消えてしまって、清長《きよなが》の美人画から抜け出して来たような、水もたるるような妖艶《ようえん》な、町女房の姿が頭の中に歴々《ありあり》と浮びました。
「その頃まで、自分が美しいと云う噂《うわさ》を聞いても、少しも嬉しいとは思わなかったが、その頃から、自分が美しく生れたことを欣《よろこ》ぶような心になって来たのです。まあ、染之助に近づく唯一つの望みは、自分の容貌だと思ったものですからね」
「ところがね」と、祖母は急に快活らしい声に変ったかと思うと、「染之助の素顔を、一度でもいいから見たい見たいと思っていた願が叶《かな》って、外ながら染之助の素顔を見たのですよ。ところが、その素顔を一目見ると、私の三月位続いた恋が、急に醒《さ》めてしまったから可笑《おか》しいのですよ。その日も、私はたった一人、娘も連れずに守田座へ行った帰り少し遅くなったので、あの馬道《うまみち》の通りを、急いで帰って来たのですよ、すると、擦《す》れ違った町娘が『あら染之助が来るよ』と、云うじゃないか。私は、その声を聞くと、もう胸がどきどきして、自分の足が地を踏んでいるのさえ分らない程に、逆上《のぼ》せてしまったのですよ。それでも、こんな機を外《はず》しては、又見る時はないと思ったから、一生懸命な心持で、振返って見ましたよ。ところが、私の直ぐ後に、色の蒼《あお》ざめたと云っても、少しどす黒い頬《ほお》のすぼんだ、皮膚のカラカラした小男が歩いて来るじゃないか、私はこんな男が、あの美しいおっとりとした染之助ではよもあるまいと思って、その男の周囲を探して見たけれども、その男の外には、樽《たる》拾いのような小僧と、十七八の娘風の女とが、歩いて来るばかりで、染之助らしい年配の男は、眼に付かないのですよ。私は、染之助の事ばかりを考えていたので、娘の言葉を聞き違えたのであろうと、内心恥しくなったけれど、念のためだと思ったから、その色の蒼い小男の後をついて行ったのですよ。すると、その男は観音様の境内《けいだい》へ入って、今仲見世のある辺にあった、水茶屋へ入るじゃないか。私も何気ない風をして、その男の前に、三尺ばかり間を隔《お》いて腰をかけたのです。男は八丈の棒縞《ぼうじま》の着物に、結城紬《ゆうきつむぎ》の羽織を着ていたが、役者らしい伊達《だて》なところは少しもないのですよ。私はきっと、人違いだと思いながら、何気なく見ていると、物の云い方から身の扱《こな》し方まで、舞台の上の染之助とは、似ても似つかぬほど、卑しくて下品で、見ていられないのですよ。こんな男が、染之助であっては堪《たま》らないと思っていると、丁度其処へ三尺帯をしめた遊人らしい男が、二人連で入って来て、染之助を見ると、
『やあ! 染之助さん、芝居の方はもう閉場《はね》ましたかい』と、云うじゃないか。私は身も世もないように失望してしまいました。染之助の美しさは、舞台の上だけのまぼろし[#「まぼろし」に傍点]で、本当の人間はこんなに醜いのかと思うと、私は身を切るように落胆したものですよ。すると、その遊び人のような男が、
『どうです、親方。花川戸《はなかわど》の辰親分の内で、いい賭場《とば》が開いていますぜ』と云うじゃありませんか。これで見ると、染之助という男は、こんな男を相手に賭博《とばく》を打つような身持の悪い男だと分りました。私は、悪夢が醒めたような心持で、怖しいもの汚らわしいものから、逃《のが》れるように逃げ帰ったのです」
「まあ、それでよかった。もし、お祖母さんが、そんな役者に騙《だま》されでもしたら、綾子なんかはどうなっていたかも分らない」と、私はホッとしたように云いました。
「ところが、まだ後日|譚《ものがたり》があるのですよ。……その日、私は家へ帰ってから、つくづく考えたのです。私が恋しいと思っていたのは、染之助と云うような役者ではなく、染之助が扮《ふん》している三浦之介とか勝頼とか、重次郎とか、維盛《これもり》とか、ああした今の世には生きていない、美しい凛々《りり》しい人達ではなかったかと、そう思うと、我ながら合点が行ったように思うのでした。お祖父さんに、散々|苛《いじ》められて世の中の男が、嫌《いや》になった私は、そう云う舞台の上に出て来る、昔の美しい男達を恋していたのかも分らなかったのよ。私は、そう思うと、素顔の染之助の姿が堪らない程嫌になって、日参のように守田座へ行ったのが、気恥しくなり、それきり守田座へは足踏みしなくなったのです」と、祖母は話を終りそうにしました。
「それぎりですか。それでもう、染之助とか云う人にはお逢《あ》いになりませんでしたか」と、私が後を話させるように質問しますと、
「だから、後日譚があると云ったじゃありませんか。半年ばかりは、守田座へ足踏みしなかったのですが、ある日の事娘が、
『お母さん、この頃はちっとも、お芝居に行かないのね。昨日、お師匠様の所で聞いたのよ。今度の守田座はそれはそれは大変な評判ですってね』と、云うじゃありませんか。娘を踊りのお稽古《けいこ》にやってあったのですが、そこで芝居の噂を聞いて来たらしいのです。素顔の染之助を見た時に感じた不愉快さが、段々醒めかかっていた頃ですから、私は芝居だけ見る分には、差支《さしつか》えはあるまいと思って、娘を連れて、守田座へ行って見たのです。芸題は忠臣蔵の通しで、染之助は勘平をやっているじゃありませんか。私はあの五段目の山崎街道のところで、勘平が――本当は染之助が、鉄砲と火繩とを持って花道から息せき切って駆けつけるのを見た時に、アッとばかりに感歎してしまったのです。あの馬道の通りで見た、色の蒼黒い、頬のすぼんだみすぼらしい男の代りに、如何にも零落《おちぶ》れた武士にあるような、やさしみと品位とを持った男が一生懸命な心持で、駆け付けて来たありさまが、何とも云えず、美しく勇しく私の胸に映ったのです。馬道で見た染之助の素顔のみにくさなどは、何処かに消えてしまいました。私は染之助の勘平を一目見ると、忽ち昔と同じような有頂天な、心持になってしまったのです。それからと云うものは、又毎日のように染之助を見に行きました。今度は染之助に惚《ほ》れているのではない、染之助の扮している芝居の役々に惚れているのだと、自分でもよく判《わか》っていましたから、私は守田座へ毎日のように通うのが、少しも恥しいと思われませんでした。前よりも、おっぴらに、誰に遠慮も入らないと思いましたから、平土間の成るべく舞台に近い、よい場所を買切って毎日のように通いました。三度に一度は、娘を連れて行きましたが、しまいには娘の方で、飽きてしまってついて来ないのを、結句仕合せに思いました。そんなに毎日通う上に、染之助が舞台に出る時間に定《き》まって這入《はい》って行き、染之助の出る幕が済んでしまうと、サッサと帰って来るのですから、到頭芝居の中でも、評判になってしまったのです。あの女客は、成駒《なりこま》屋(それは染之助の屋号です)に気があるのだと、評判しているらしいのです。そう云う噂が立つに従って、舞台の上の染之助がじっと私の方を見詰め始めたのです。私は舞台の染之助から見詰められる事は、三浦之介なり、勝頼なり、勘平なり、義経なり、昔の美しい人達から、見詰められるような気がして、少しも悪い気持はしないのです。その中《うち》に段々染之助の見詰め方が烈《はげ》しくなるのです。ただ、あの女は『俺のひいき客だから、見てやれ』と云う位ではなさそうなのです。日が経《た》つにつれて、染之助の私を見詰めている眼付が、火のように燃えて来るのです。私は意外に思わずにはいられませんでした。そうして、私と染之助とは、舞台の上と下とで、始終じっと見詰め合いました。両方で見詰め合いました。私の見詰めているのは、染之助ではなくて、三浦之介とか重次郎などと云う昔のまぼろしの人間だったのですが、染之助はそうは思わなかったらしいのです。
ある日の事、私が何気なく見物していますと、一人の出方《でかた》が、それはそれは見事なお菓子、今のような餅《もち》菓子ではなく、手の入った干菓子の折に入ったのを持って来て、
『これは、染之助親方からのお届物です』と云うのです。私はそれを聞いた時、舞台の上の美しい斎世宮[#「斎世宮」に傍点]――その時は、菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゅてならいかがみ》が芸題で、染之助は斎世宮《ときよのみや》になっていたのです――のまぼろしが消えてしまってその代りにあの馬道で逢った蒼黒い、頬のすぼんだ小男の面影が、アリアリと頭の中に浮んだのです。その瞬間、私は居たたまらないような不快を感じて、幕が閉ると、逃げるように小屋を出ました。無論、その干菓子などには、見向きもしませんでしたよ。
そんな事があってから、半月ばかりの間は守田座の木戸を潜《くぐ》らなかったよ、又その中に何となく染之助の舞台姿が恋しくなって来るのですよ。何でもその年の盆興業でした。馬琴《ばきん》の八犬伝を守田座の座附作者が脚色したのが大変な評判で、染之助の犬塚信乃《いぬづかしの》の芳流閣の立ち廻りが、大変よいと云う人の噂でありましたので、私はまた堪らないような懐しさに責められて、守田座の木戸を潜ったのでしたよ。平土間のいつもの場所に坐っていると信乃になった染之助が、直ぐ私を見付けてしまいました。それは、長い間母に別れていた幼児が、久し振りに恋しい母を見付けたような、物狂わしいような、それかと云って、直ぐにも涙が、ほとびそうな不思議な眼付でありました。私は半月も来なかったことが、染之助に対して、何となく済まないように思った位でした。染之助の信乃は、相手の犬飼現八《いぬかいげんぱち》と、烈しい立ち廻りをしながら、隙《すき》のあるごとに私の方へ、燃ゆるような流瞥《ながしめ》を送っているのですよ。実際の染之助から、こんなに度々《たびたび》、見詰められては、一分も座に居られなかったに違いない私も染之助が信乃になっているばっかりに、何だか信乃の恋人の浜路《はまじ》にでもなったように、信乃から見詰められる事が胸がわくわくする程嬉しかったのですよ。私も、信乃から見詰められる度に、じっと見返したり、時にはニッコリと笑って見せたり、恋人から見詰められたと同じように、うっとりとなっていたのです。
やがて、幕が下ってから、手水《ちょうず》を使いに廊下へ出ると、気の付かない間に、私を追い
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