欝な顔をなさらなくったっていいじゃありませんか。私だって一生懸命家のことで駈けずり廻っているんです。
伸太郎 お前が家の為にどれだけ尽《つく》してくれているか俺には充分わかっているよ。だからそれでいいだろう。
けい 何にもないと仰言しゃっても私には感じるんです。言葉に出して仰言しゃらなくてもそれくらいのこと私にはわかりますよ。そんなら何も彼も言っておしまいになった方がさっぱりしてお互いにいいじゃありませんか。
伸太郎 そうさっぱりと口に出して、いえない場合だってあるだろう。
けい それ程私に、いい難いことなのですか。
伸太郎 いや、いい難いことなんぞありゃしないさ。どういう風にいっていいかわからないといった方が適当かも知れない。強《し》いていうならお前と俺と……性格が合わないとでもいうか……。
けい 性格……。
伸太郎 成程お前は一家の女主人としては実によく行届《ゆきとど》く。店の仕事から奉公人の指図、台所から掃除洗濯、近所|交際《づきあい》、何一つとして手抜《てぬか》りはない。よく一人であれだけ廻るものだと俺は、感心してるくらいなんだ。しかしね。女ってものは、ただよく気がつく、よく働く、それだけのものじゃないよ。女には、どうしても女しかもっていないっていうものがある。お前にはそれがないのだ。
けい まあ、それは一体どういうことなんですの。女しか持っていないものって何なんですか。
伸太郎 残念ながら俺にもそれがどんなものだか口でいえるほどにはわかっていない。ただお前にはそれが欠けているということだけはわかるのだ。お前は店のことを殆んどひとりで切り廻してくれている。しかしお前がそれほどに出来なかったとしても、俺は決してお前が出来損《できそこな》いだったとも女として行届かないとも思わないだろう。総子のことにしてもそうだ。お前は次から次へいろいろの話を、掻き集めるようにして持って来る。誰にでも出来ることじゃない。ないと思っていても、お前がそうすればするほど俺はお前のすることについて行けない気がするのだ。
けい あなた、それはひどいじゃありませんか。私が、お家の為を、あなたの為を、あなたの妹さんの為を思ってすることを、そう一々裏からみてらっしゃるなんてひどすぎます。
伸太郎 だからお前が悪いといってるわけじゃない。お前と俺との性質の違いだから仕方がないといっているのだ。
け
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