のよ。眼をつぶって走って通ったわ。すれ違ってゆく人がみんなにやにやして、私の顔をみるような気がするの……。(眼を拭く)
ふみ 姉さん……姉さんどうしたのよ急に……。
総子 いいのよ。ほっといて……。
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伸太郎。
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伸太郎 おや、お客さまはもうお帰りになったのかい。
ふみ いいえ。精三と将棋をお始めになったんですってさ。ほんとうにうちの旦那様にも困ってしまうわ。
伸太郎 けいはまだかい。
ふみ まだなのよ。何してらっしゃるんでしょうね。
伸太郎 仕様がないなあ。すべて自分で段取りをしておいて。
ふみ 全体どこへいらっしゃったのよ。
伸太郎 うん、工業クラブで対支貿易の懇談会があるんだがね。
ふみ あら、そんなものに迄姉さんが出てらっしゃるの。
伸太郎 (苦笑)俺が出るより確かかもしれんからね……。しかし、二人だけ放っておくわけにもゆかないだろうね。
ふみ 精三とお見合いにいらっしたわけじゃないんですからねえ。
伸太郎 お前、とも角部屋へ戻っていたらどうだ。
総子 私なんか、傍にいたっていなくったって同じだわ。二人とももう夢中なんですもの。今度は飛車ですか。はあ角道《かくみち》とおいでなさいましたね、なんて。
伸太郎 俺には又、将棋って奴はちんぷんかんぷんなんでね。
ふみ お見合の収《おさま》りなんてものはどうつけるものかしら。こうなると私もお兄さんもお見合いなんてものしなかっただけに不便ね。
伸太郎 何をつまらんことをいってるんだ。だから俺は初めっからちゃんとした仲人《なこうど》を立ててというのに年をとっているからとか、何度もやった揚句《あげく》だから今度は決ってからにしようとか……。
ふみ 今更そんなこといったって仕方がないじゃありませんか。
伸太郎 今更っていうがお前だってそれに賛成したんだぞ。
精三の声 おーい。ふみ子! どうしたんだ! 総子さん! 猪瀬さんのお帰りだよ!
ふみ あら、お帰りだって。(総子に)さあ、行きましょう。兄さん、あなたもいらしって……。
伸太郎 うん、何だか俺は……。(といいながらついて行く)
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庭から、章介、けい。
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