来て上げたものだ。なんだって黙って髪にさしたりしたんだこん畜生!
けい だから返すわ。ほら、此処へおくわ。ね、だから御免して。
栄二 今更返したってどうなるもんか。お母さんが使わないうちにお前なんかが使っちまっちゃ、もうお母さんに上げること出来やしないじゃないか。
けい だったら、どうすればいいの。あなたのしろっていうようにするわ。どうすればいいか、教えて。
栄二 どうすればいいか、そんなこと僕にだってわかるもんか。
けい ねええ、私……そんなに器量の悪い方じゃないでしょう。うちのおばさん、私くらいの器量なら新橋や柳橋から芸者に出してもひけをとりゃしないけれど、あんな所は保証人がどうとか、つき合いがどうとかって面倒くさいからそうしないんですって。私、新橋や柳橋の人がどんなに綺れいだか、みたことないから知らないわ。でも時々鏡みて自分でもそんなに悪くないなあ、って思うことあるわ。あなた、そう思わない。
栄二 そんなこと……知るもんか。
けい この間ね、魚屋の新ちゃんが行きちがいに私の手を握ったのよ。新ちゃんて人、八百蔵《やおぞう》に似てるって、うちの近所じゃお内儀《かみ》さんたちが大騒ぎしてるのよ。私、あんな人好きじゃないわ。魚屋のくせにちょびひげ生《は》やしてとても気取ってるの。おかしくって……。あんた、女の子の手握ったことあって。
栄二 そ……そんなことないよ。
けい そお、私だって男の人に手なんて、握られたの初めてよ、とても変な気のするものね。身体中の血が、一ぺんにぶくぶくって煮え返るんじゃないかと思うくらいよ。ふふふ。私、新ちゃんを突きとばしてうちへ逃げて帰ったけど、慌《あわ》てて台所の鉄瓶蹴とばしてしまったわ。うちのおばさん、怒って物さしで私の頬っぺた二十もぶったけど私、痛いとも何とも思わなかったくらいよ。
栄二 おい、そんなに傍によるなよ。お前、どうして僕にそんな話するんだ。
けい あら、あなた、私が怖いの? 何故そんなにおっかなそうな顔するの。(笑って)なにもしやしないわよ。あんたなら、私の手、握ったって、私じっとしててよ。ほら……。(すり寄る)
栄二 こら(つき飛ばして)彼方《あっち》へ行け!
けい 痛い! (と、どっかにぶっつけた肘《ひじ》をこすっている)
栄二 傍に寄るとぶん殴るぞ!
けい 乱暴ね、あんた。
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