のため遺しおく口上書とは、二日に深川八幡前で認めた仇討《あだうち》の宣言書と起請文《きしょうもん》のことで、その中には毛利小平太の名も歴然として記載されてあるこというまでもない。なお内蔵助はそれについで、己《おの》が妻子のことにも言い及んで、
「はたまた拙者妻こと、京より離別|仕《つかまつ》り縁者方へ返し申候。伜、娘儀いかように罷成《まかりな》り候ともそれまでの事に候」といい、さらに平常《ひごろ》方外の友として、その啓沃《けいよく》を受けた良雪に対しては、
「良雪様、去年以来の御物語、失念|仕《つかまつ》らず、日々存じ出し、このたび当然の覚悟に罷成りかたじけなき次第に御座候。日ごろ御心易く御意を得《え》候《そうろう》各々様ゆえ、別して御残多く、御暇乞かたがたかくのごとく御座候、恐惶謹言」と結んでいる。で、それを書いてしまうと、若党室井左六、加瀬村幸七の両人をそばへ喚《よ》んだ。かねてその旨|吩咐《いいつ》けられていたので、両人とも旅支度をして脚絆《きゃはん》まで穿《は》いていたこととて、その書状を受取るなり、一同に暇乞《いとまご》いして、涙を拭き拭き出て行った。
で、この隙間《ひま》に太夫に会ってと、小平太は腰まで上げたが、吉田忠左衛門が来て、何やら太夫と打合せをしていると聞いて、またその腰を卸《おろ》してしまった。そして、ふたたび黙って諸士の話しに耳を傾けた。
「今ごろから出かけて、あの二人は日のあるうちにどこまで延しますかな」と、一人が言った。
「さ、脚の早い者とて、六郷までは参りましょうか。今夜は川崎泊りですよ」
「日の短いごろですからな」と、また一人がそれに応えた。「それにしても、あの主思いな二人の忠節といい、それを出してやられる太夫のお心のうち、昔の鬼王、童三《どうざ》が古事《ふるごと》も想いだされて、拙者は思わず貰い泣きをしました」
「さようさよう。同じ大石殿の家来の中《ちゅう》にも、瀬尾孫左衛門のような人非人《にんぴにん》もあれば、またあんな忠義なものもある。まさかの場合になって、始めて人の心は分るものでござるな」
こんな話しを聞いていると、小平太には、せっかく太夫に聞いてもらおうとした自分の用事が取るに足りないばかりでなく、何だが滑稽《こっけい》のようにも思われてきた。自分としては一生懸命だが、人が聞けば、何と思って今ごろそんなことを言いだすか
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