のじゃ」
「それはそれは」と言ったまま、小平太は自分の兄に引較べて、ちょっと返辞ができなかった。「なるほど、お父上の気性ならそうもありましょう。立派な父御を持たれてお羨《うらや》ましい」
実際、彼は羨ましかった。そういう父親を持っていたら、自分も今になってこんなに心の動くこともあるまい。それにつけても、何と思って兄になぞ大事を打明けたかと、今さらのように自分の不覚を悔《くや》まずにはいられなかった。
二人がそうしているところへ、表から足音荒く横川勘平がはいってきた。そして、ぷんぷん腹を立てながら、
「おい、また裏切者が出たぞ!」といきなり喚《よ》ばわった。
「裏切者?」と二人はいっせいに相手を見上げた。
「そうだ、裏切者が出た、しかもこの宿から出たのだ!」
小平太はぎくりとして思わず飛び上った。何だか自分が今兄としてきた相談の一伍一什《いちぶしじゅう》をそのまま勘平に聞いていられたような気がしたのである。
「中村と鈴田の二人が朝から出て行った」と、勘平は委細かまわず続けた。「俺はどうもその出方が怪しいと思ったので、君らが出かけた後で、そっとその行李《こうり》を調べてみると、いつ持ちだしたものやら、何一つ残っていないではないか。それには惘《あき》れたね。が、捨ておかれぬと思ったから、すぐに頭領の許《ところ》へ駈《か》けつけてみた。すると、どうだ、太夫はもうちゃん[#「ちゃん」に傍点]と二人のことを知っていて、『どうも是非《ぜひ》におよばぬ』と言っていられるのだよ。聞いてみると、あいつらはもう書面でもって脱退の旨を届けてきたんだそうな。その文句がいいね。『自分ども存じ寄りの儀があって、今日限り同盟を退く。かねがね御懇情《ごこんじょう》を蒙《こうむ》ったが、年取った親もあることとて、どうも思召しどおりになるわけに行かない。よって自分どもは自分どもで一存を立てるつもりだから、どうぞ連判状から抜いてくれ』とあるんだとよ。奴らも今になってそんな卑怯《ひきょう》なことを言いだすくらいなら、何と思ってはるばる江戸まで下ってきたのだ? 俺にはその了簡《りょうけん》が分らないね」
「さあ」と言ったまま、小平太にはやっぱり返辞ができなかった。黙って聞いていると、何だか自分が罵《ののし》られているようにも思われた。
「たぶん江戸へ来れば、何かよいことでもあるように思ってきたんだろうが
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