。どうかお取次ぎを願います」と、手に持った状箱を差出した。
取次の爺さんは黙ってそれを受取って、朱塗りの蓋《ふた》の上に書いた宛名《あてな》の文字をつくづく眺めていたが、「ちょっと待て」と言い捨てたまま、奥へはいった。が、間もなく引返してきて、「すぐ御返事があるそうだから、しばらく待っておれ」と伝えた。そして、自分はすぐに元の部屋へはいってしまった。
小平太はしばらくそこに立っていたが、だいぶ手間が取れるらしく、奥からは何の沙汰《さた》もない。この間だ! この間にそこらを見廻ってやれとも思ったが、さっきの失敗に懲《こ》りているので、もし自分のいない間に出てこられでもして、申し開きが立たなかったら、それこそ百年目だ! なに、まだ帰途《かえりみち》もあることだと、じっと辛抱《しんぼう》しているうちに、やっと奥で手の鳴る音がした。それを聞くと、例の爺さんはそそくさと襖《ふすま》を明けてはいって行ったが、すぐにまた取って返して、
「待ち遠であったな。この中に御返事が入っているそうだ。よろしくと伝えてくりゃれ」と、小平太の持ってきた状箱を渡した。
「畏承《かしこま》りましてございます。そのほかにお言伝てはござりませぬか」
「うむ、これを持ってまいれば分るそうだ」
「さようでございますか、どうもお邪魔いたしました」と、小平太はお叩頭《じぎ》をして、そのまま表へ出た。
さあ、これからはもう帰るばかりだ。が、これだけではせっかく来た甲斐がないような気もした。第一、同志の連中が何と言うか知れない。彼には何よりも同志の思わくが気になった。で、右へ行けば表門へ出るのを、わざと左へ取って、角の土蔵について廻ってみた。すると、もうそこに裏門が見えて、その正面にあたる所が裏口の小玄関にでもなっているらしい。それが眼に着くと、彼はすぐに踵《きびす》を旋《かえ》した。そちらの方面のことは、前原や神崎の手でおおよそ分っていたからである。
で、元来た道を引返していると、ふたたび例の中門が眼にとまった。見ると、前にはびたりと閉めきってあった戸が、どうしたのやら一寸ばかり透《す》いている。想うに、さっき逢った侍がここからはいって、つい閉め残したものでもあるらしい。小平太は天の与えとばかりに胸を躍《おど》らせた。が、遽《あわ》てるところではないと、前後を見廻して、人目のないのを見定めながら、つと扉《
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