上、自分もあちらの方面に所用があるから、何なら私が届けて進ぜましょう、御返事があるようならまた房路《もどり》にと、うまく言って使者《つかい》まで請合ってきた。それはいいが、何しろ俺はこの前あの邸へはいりこんで、うろうろしているところを掴《つか》みだされた覚えがあるから、二度とあそこへは行かれない。と言って、長左衛門どのでは顔が売れているから、どうも目に立つし、気はせきながらも、貴公の帰りを待っていたのだ」
「そうか」と、小平太はぐっと固唾《かたず》を呑み下しながら言った。「よし、それでは俺が引請けた」
「うむ、しっかり遣《や》ってくれ」
「心得た。で、念のために聞いておくが、この手紙の用件は?」
「いや、それは何でもない。かねて小林から頼まれていた品が見つかった。いずれ近日持主同道で持参するからよろしくというだけだ。いずれ茶器か何かのことだろうよ。だが、貴公は何にも知らない体《てい》で、ただ使者《つかい》に来たようにしておいた方がいい」
「それもそうだな」
「とにかく、またと得られない機会だ」と、勘平はさらに自分の注文をつづけた。「できるだけ邸内の様子を細かに見てきてもらいたい。近ごろ長屋と母屋《おもや》との間に大竹の矢来を結《ゆ》い廻して、たとい長屋の方へ打入られても、母屋へは寄りつかれないようにしてあるという噂《うわさ》も聞くが、このごろはあちらでもお出入り以外の物売はいっさい入れないようにしているから、最近の様子はさっぱり分らない。そのへんも十分見届けてきてもらいたいな」
「それに」と、安兵衛もそばから言葉を添えた。「かねがね山田宗※[#「彳+扁」、第3水準1−84−34]のところへ弟子入りをしている脇屋氏《わきやうじ》(大高源吾のこと、京都の富商脇屋新兵衛と称して入りこむ)から、吉良邸では来月の六日に年忘れの茶会があるという内報もあった。すれば、五日の夜は必定《ひつじょう》上野介在宿に極《きわ》まったというので、討入はおおよそその夜のことになるらしい大石殿の口ぶりでもあった。だが、頭領としては、その前にもう一度邸内の防備の有無を見定めておきたいと言われるのだ。で、もしお手前の働きでそのへんの事情が確実に分ったら、吾々が待ちに待った日もいよいよ近づいたというものだ。大切《だいじ》な役目だ、しっかり遣ってきてもらいたい」
「心得ました」と、小平太はそれを聞いて、
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