強ひて辯解すれば、私自身も若かつたのでした。
 が、幸ひなことに、其愚は間《ま》もなく悟りました。私は温かな傍觀的態度で靜かにおしづさんの生長を見守ることが出來るやうに成りました。其間おしづさんは一日でも惜しまれるやうに、せつせと創作しては、私の許へ持つて來ました。處女作『松葉杖をつく女』にあゝ云ふ表題を附したのは私のジヤアナリズムでした。これは故人の名譽のために斷つて置きたい。つまり少しでも此作に世人の注意を向けたいと云ふ善意のジヤアナリズムでした。第二作『三十三の死』は明くる年の正月の新小説に載せられた。處女作も心ある人の注意を惹いたが、此作に到つておしづさんは女流作家としての立場を確實に握るやうに成りました。おしづさんは、始めて私の宅へ來出した時、恰度私が三十三であつたので、自分も、先生の歳まで生きられゝば、それで思ひ殘すところはないと云ひ/\して居ましたが、女の大厄である其年を待たないで、二十四で世を去りました。豫て期せられたることゝは云ひながら、又餘りに短かい人の命である。
 おしづさんの創作で光つて居るところは、それはいろ/\好い素質もありませうが、矢張あの病氣に關聯した、病氣に虐げ惱まされた心が細い、而も鋭い漏口《もれぐち》を見出したところにあるだらうと思ひます。元來極めて初心《うぶ》な、無邪氣な質の子でした。其ナイーブな心がこれから始めて世の中に接觸しようとする際、俄に病氣に罹つた。彼女の眼に映る人生には、卒然として價値の顛倒が齎された。病氣に罹つたのは不幸に相違ないが、病氣であるお蔭で本當に物を見得るやうに成つた。普通の人には見えない物を見得るやうに成つた。私はおしづさんが蝙蝠傘を翳《さ》して歩く他所《よそ》の女を羨むのを見て驚かされた。ある時は又かうして歩けないで寢て居ると、疊の上だの、表の街の上なぞを歩く人間の足音が皆|跛《びつこ》に聞こえる、誰の足音でも決して揃つて居ない、不思議だ、不思議だと云ふのを聞いて、成程と思つた。で、斯くの如き眼で見られた人間生活の描寫は異常なものであつたに相違ない。必ず看る人の驚異を惹かずには措かない。おしづさんの作品が一時に世人の注意を惹いたのも、主として此點にあつたらうと思ひます。
 かうしておしづさんは女流作家として認められ、名聲も次第に揚がつて來ました。が、おしづさんは何うもそれだけでは落着いて居られないや
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